7、黒白 「……なんであんたもついてくんだよ」 「暇つぶし」 「……」 「はは、嘘うそ。帰るよ」 それとも帰って欲しくないかとふざけたことをいえば勝手にしろと言わんばかりの一瞥をくれたサスケは手渡された袋をもってパーテーションで着替える。なかにはいっていた前開きの服に着替えると、看護師がこのとおり進んでくださいといったテープどおりに進んでいった。 置いていかれたカカシはさあどうしようと頭をかいた。別段このあと用事があるわけでもないのだ。 「サスケ」 「なんだ」 「何時ぐらいにおわんの?」 「さあ、ニ三時間じゃねえのか」 「じゃあちょうどいいや、飯でも食おう」 待てと言う暇もなくカカシは消えてしまってサスケはやられたと舌打ちする。いつかの試験の時もそうだった。場所だけ告げて消えてしまって人の気分を焦るだけ焦らせる。そのくせいつも人を待たせてしらっとした顔をしているのだ。 「くそ」 尿検のためにはいったトイレから出たところで、あなたに説得してもらうのがね、イロリさんにとって一番なんだと思うんです、と聞こえた声にサスケはゆるりと顔をめぐらせる。 「こればっかりはね、ご本人の意思次第なんです。わたしたちだってできるだけのことはさせていただきたいんですよ」 「はい、はい」 「その、診療所のほうがいいですがね、もうちょっと待っていただいたほうがいいと思うんです。その、扶助金のほうはこちらにも色々と資料がありますし、ご案内させていただきますから」 「ありがとうございます、すみません」 「いえ、こちらこそお忙しいのにすみません」 「いえ、お世話になります」 深々と頭をさげるゴトクに若い医師は今日はお泊りですかと労わる響きの深い声で尋ねている。 「いいえ、ちょっとまだやらなきゃいけないことがあるので」 「そうですか。よく休んでくださいね」 「ええ、こんなことで倒れちゃいられんですよ」 倒れちゃおれんです、といったゴトクの声をききながらサスケはテープの通りにうすぐらい廊下を歩いていった。 メシでも食ってこうかと誘えばあまり重いものは食いたくない、と返ってくる。病院からしばらく歩くうちに西の低いところにかかっていた夕日は落ちきってしまい、藍を重ね始めた空に三日月が白く女の瞼のように浮かんでいる。 ここでいいかとすこし路地をはいったところにある適当な小料理屋で立止まる明りがサスケの顔に翳りをおとしていた。頬がずいぶんとそげていることが目に付く。ひお、と風がなって思わず首を竦めたカカシは暖簾をもちあげガラガラと音をさせながらガラス戸をあけた。 あたたかな空気と声が頬をなでたのに思わずため息が出る。案内された座敷にこしかけて飲むか、と聞けば首を振る。とりあえず飲み物とあまり油気のないものを、といえば気配を察したのか伝票をしまった店員はごゆっくりと出て行った。 「ちゃんとしてる?」 手甲をはずしあたたかい茶のはいった湯飲みに手を伸ばすとサスケが額宛てを緩めていた手を止めた。前髪でかくれて見えないが口をへの字にしている。 「なによ、その顔」 「同じこときく」 「サクラ?ナルト?」 「サクラ」 ことん、と額宛てを机に置いたサスケの頬に店内のそこかしこからくる光がおとす影が散っている。切れ長で涼しいといえば聞こえはいいが見ようによっては冷たくも見えがちな目を伏せてひどく穏やかな顔をしていた。カカシを見てから額宛てを懐にしまう。 「ひさしぶりにあった知り合いとかにあったらそう聞くのが常識じゃないかね」 「そんなもんか?」 「病院にいたからじゃないけど病気になったとかなってないとか、いいことがあったとか悪いことがあったとか、そんなもんでしょ。結局言わなきゃわかんないもんだしね。―――具合悪い?横になってれば」 「いや、いい」 「座敷だし行儀わるいなんていわないよ今更」 「あんたに言われたくねえよ」 おれ?と問い返せば壁によりかかったサスケは小さく笑って前髪をかきまわした。 「いい手本のつもりかよ」 「それはさすがにないよ」 苦笑しながらたわいない話をしているうちに、軽いものからはこばれてくる。温野菜、豆腐にきのこと野菜のはいったくずあんがきたのをつついているうち、脂ののりだしたぶりの焼き物と鳥の水炊きがならぶ。鶏肉のほかは白滝と葱と白菜、きのこが一盛りになっている。品数はすくなくとももともとひとりで食べるには飽きてしまうほどの量だったし、足りなくなれば追加をすればいいと箸を手にとった。 「ほんとに足りる?」 「足りる」 ほんとにうるせえな、とサスケは穏やかに笑った。 勘定を済ませ夜道を歩いているとサスケがふと首をめぐらせる。伝令かと立止まったカカシに悪い、と短く言い置いてサスケは姿を闇に消した。 (いそがしいねえ……) サスケ、悪い、とアカデミーで呼び止められたのはそれから一週間もしたころだろうか。冷たい雨が降る日だった。 「イルカ先生」 「すまんな。すこし話せるか」 「はい」 壁際によったところでイルカは封筒からすこし書類をだした。任務報告書の控えだと気がついてサスケはすこし眉をひそめる。 「なにか?」 「いや、その、最近いそがしいか?」 「まあ、慣れましたし」 しょうがないとも思っているとは口には出さなかった。隔たりがあることは覚悟してこの里にいるのだ。文句は別にない。 「休日は今月何回あった?」 「一週間前に一度、とあとそのまえに2日ほど」 「そうか、ならいいんだ。わかった」 なにが、と訊き返す間もなくイルカは歩いていってしまってサスケはなんなのだと首をかしげるばかりだ。そのうちに哨戒の時間になってしまい、サスケは持ち場まで駈けた。 先日の侵入者の一件もあって厳しくなった哨戒は通常二時間のところがさらにいまは長引いている。ようやく上がりだとゴトクの班四名と他二班が隔壁そばの見張り場に戻ったところでゴトクさん、と声がかかった。 「なにか?」 「病院から連絡が」 はあそうですか、といったカカシにイルカはため息を禁じえない。 「そうは言いましても、直下ではありませんが一応あなたの部隊に属するんですよ。俺だってサクラに言われなければ気がつかなかった」 「そこらへんは警務隊の管轄でしょう」 「ちがいます、サスケのことです」 ふと笑ったカカシにイルカは鼻白む。なに笑ってるんですかと睨まれてカカシはいやね、と頭を掻いた。 「あなたって人はかわんないですねえ」 話があるっていうから何かと思えば、とカップベンダーから取り出したコーヒーをすすりながらカカシはベンチにもたれる。アカデミーでは、と口を濁したイルカにじゃあと誘ったのは自販機がいくつか並び雨避けの庇がかかったベンチのおいてある公園だ。幸い人がかくれるような場所もなく赤に黄によそおいを変えた桜の葉も落ちだしている。この雨で夜は随分とひえこむかもしれない。 「どういう意味です」 「ああ、ちがいますね。わかんない人ですね。なんだってそう、人のことに鼻をつっこむんです?」 かっとまたいつかのように頭に血がのぼりかけたのをイルカは堪える。 「……いけませんか」 「いけないなんて言ってはいないですよ。ただオレに言うのはお門違いだろうってはなしです。オレはあいつらの親じゃないんですよ」 「ですが」 「じゃああなたはナルトのことに全責任もつっていうんですか?」 できないでしょう、といったカカシにイルカはいらいらと頭を掻いた。 「なんでここでナルトが出てくるんですか。俺にしてみればカカシさんのほうこそ理解できませんよ。責任云々なんて話はしちゃいないんです。ただ出来るだけのことはしてやったらどうかって言っただけです」 「やですよ。俺の手はいまもむかしも二本しかないんです」 「適材適所ってもんですよ。これは俺ができることじゃない。でも俺が気がついた。だからできるかもしれないカカシさんに相談した、それだけのことです」 ありありとお前なんかに言っても無駄だったと憤懣やるかたない表情をするイルカをみながらカカシはこうはあれないな、と思う。だからイルカ相手だといつも無用に口を滑らせてばかりだ。 「なんだってそう、するんですか」 「だってそれしかできないじゃないですか」 「そうですか。そろそろ失礼していいですかね?」 「わざわざお時間とってしまいすみませんでした」 とがったというより幾分か失望のまじった声をだすイルカに背をむけたカカシは肩をすくめた。煙があがる間際に聞こえたのはお話は伺いましたよとの一言、イルカが振り向いたときには枯葉が幾枚か音をたてているだけだ。 喪服を出すのはいつでも気がめいると思う。箪笥の樟脳のにおいとしけた黴のにおいが入りまじっている。 昼下がりの光がさしこむ中、このたびはお悔やみ申し上げます、とカカシが頭をさげればいかにも俄かしつらえとわかる花と果物、故人の写真と白木の箱がをうしろにゴトクも深々と頭をさげた。焼香を終えるとカゼをこじらせましてねぇ、と穏やかにゴトクはいう。 「タイミングがわるかったんでしょうね、休日で医者がすくなくなったときに風邪をこじらせちまいましてね。もとから体力ってもんがないから肺がね、レントゲンですがね、こう半分以上真っ白になってた。これが全部だめになった部分ですっていわれましてね。そんで敗血症?がおきて全身にまわりましてね、多臓器不全を起こしてそのまま心臓が持ちこたえられなくなったんだそうです」 ようやく峠をこえたと思って、着替えをとりにいくついで仮眠しようと思って家に帰ったら電話が鳴ってましてね、ほんと不思議なもんですねえと呟いた。 「なんだって死に目ってのは会えないんですかね」 「友引っていうのと同じでしょう。引きずられる人がいるから、近しい人がいないときに亡くなろうとすんだそうです」 「ああ、そうなんですね。なあんも、してやれんかったからですかね、なんていうか、もう」 息を吸い込む拍子に鶏のように喉をならしたゴトクはつまらない長話ばかりすみません、と頭をさげ雑然としてうすぐらい台所にむかった。 「お茶でいいでしょうか」 「いえ」 おかまいなく、を飲み込んでしまったのは頑なにこちらを向かないで茶器をとりだそうとする肩が震えていたからだ。五分もしたころ、すこしぬるいお茶をもってきた彼はどうも慣れませんで、と赤い目をかくすよう俯いて首をすくめた。 無言のまま茶をすすったカカシがではこれで、と立ち上がるとあのう、と躊躇いがちに声がかかる。振り返ったカカシの影になってゴトクの顔はよく見えなかった。 「その、妙なことを頼むようですが、あんた宛にですね、私からの手紙がとどくかと思います。その」 「はい」 まろぶように玄関にはだしをつき、サンダルをひっかけるのにも頓着しないで踏みつけた彼がカカシの手を支えにするようにして掴んだ。 「お願いです、どうぞ、よまんで捨てて、いえ、できるなら焼いちまってください。お願いします」 なめらかにやわらかい老いた皮膚に覆われた細い手が一心に掴んでくる。お願いします、お願いしますと頭をさげるのにカカシが困惑しながらもうなずくと、ようやく安堵したのか、ならいいんです、と続けてまた深々と頭をさげた。 「ありがとうございます」 ではまた、といえばゴトクはまた、と返した。 警務隊にゴトクが出頭したのはその直後だった。 |
「焼けない心臓 7」/カカシサスケ |
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