幾日か続いた雨は雲をぬぐい葉の色を染めかえ、里に冬の近しさを知らせた。窓から青い夜の光がベッドの上を這うように落ちているのを片膝を抱えたままサスケは見ている。袖口からただよう抹香の香りに目をとじて毛布に鼻先を埋めるが、床をひたす寒さと体の奥を始終撫でるような波立つなにかにのぞむような眠りは到底おとずれてくれそうにはない。









8、つめたい夜に








知らせがあった日から病院に泊り込みをしていたゴトクに処務連絡をするためサスケは病院に立ち寄った。夜勤の班と交替間際、先日の侵入者の件で事情をきかれたために随分と遅くなってしまった。

街灯に照らされているところの雨はつめたい銀の針のようだ。正面ではなく裏手から入る。消灯された受付が暗く口をあけているのを横目に窓口に近寄り、内線で宿直の看護師を呼び出した。しばらくコール音がなってからとられた電話に部屋の番号をたずねる。受話器をおいたサスケは非常灯の明りを見ながら階段をのぼり、廊下をしばらく歩いた。ナースセンターに一応名前を言ってから、明りをぼんやりと擦りガラスの向こうからにじませる部屋に見当をつける。

カーテンを閉じた中でベッド脇の電灯をつけ、眼鏡をかけたゴトクがペンを走らせていたが、サスケが声をかけると、どうもご苦労さまですと頭をさげた。ペンを握る手に骨が浮き出てひどく細いのから目をそらし、サスケは具合はいかがですかと尋ねた。

「もう、安定はしているらしいよ」

イロリという人は白い柵が高めになった寝たきり患者用のベッドにすこし横向きになり膝を子供のように曲げながら目を閉じている。眠るというより昏睡だ。息苦しそうにあさい呼吸をせわしなく繰り返しながらゴムで固定された酸素吸入器をはずそうと指をうごかすため、浴衣の帯のようなものでベッドにゆるく手を固定されていた。だが寝返りをうつのも手をうごかすのも力がないためだろう、いずれもシーツの上をもがく動きばかりだった。

くもって水滴を貼り付ける酸素吸入器のずれを直してやりながら寝汗で張りついた髪の毛をサイドボードからとった櫛でゴトクはそろそろと幾度か撫でつける。それから上掛けの下に手をやった。指先に洗濯バサミのような形でつけられている血中の酸素濃度を出す機械をはめ直してから幾度か手を握ったあと、ポケットに手をいれてなにか探りながら歩き出す。

「どこに」
「ちょっと売店に。おきたとき、喉が渇いてるかもしらんから。枕もとに置いておいたらすぐ飲ませられるでしょう」
「だったら行きますから」

ゆっくりしてください、とサスケがいえばゴトクはじゃあ頼めるなら、とつぶやいてからサスケの手の中に紙幣をおしつける。イロリのベッドのそばにあるイスに足をもつれさすようにして腰をおろした。

病人が飲めるかどうかもわからないのに、とはいえないまま階段を下りてシャッターの閉まった売店ちかくで青白い光をこぼす自販機の前に佇んだ。ひとり分には多い飲み物と箱入りの菓子をそろえて差し出せばゴトクはどうもありがとう、と返した。

「ずいぶん買ってきたねえ」
「なにか口に入れましたか」
「いいや、ああ、そうか。もうこんな時間か」

どうも、とゴトクは頭をさげてもそもそとした手つきでサンドイッチを取り出し、袋にまた戻した。

「あとで食べるよ。でも君は」

口をひらきかけたゴトクはまた財布をとりだそうとするのにサスケは首を振った。

「もう遅いですし。落ち着いてください」

はあ、と気の抜けたような返事をかえすゴトクはふとサスケの顔をみて笑う。

「まだ若いのに意外と君はうるさいねえ」

ため息まじりに言われた声は驚いた響きと、存外にあたたかい響きだった。めずらしく目を見開いたあと眉をひそめたサスケにゴトクはまったくうるさいよ、と同じ声で言う。妙な居心地の悪さをため息で胸の外におしだし、サスケは口を開いた。

「病院に泊り込みを?」
「ええ。でもいまは安定してるそうだから、私も明日は家に帰るよ。洗濯物もたまってるし。来週には復帰しますと、言っておいてください」











訃報をきいたのは午後の定例報告会でだった。

同盟加盟国に対する保護および協力や国境の哨戒など内外の防備、諜報活動や大名からはいる依頼の処理などは、忍び頭を頂点に大隊いくつかで二年交替で当たることになっている。サスケたちの所属する大隊は今期は防備のほうに割り当てられていた。

アカデミーの屋内練習場の二階にある多目的教室に中隊長、小隊の班長および副長各二名、総勢五十名あまりが一ヶ月に一度集って各班の進捗状況を報告をする。班長であるゴトクが不在、残る一人が病欠のために同班の下忍とサスケも出席していた。

三十分ほどの朝礼のあと大隊を預かるカカシの横でメモをとりだした中忍がゴトク班は残るようと言い置いたのだ。それぞれの持ち場に移動する人の流れに逆らって近寄れば、中忍はメモを見ながら連絡事項を読み上げる。

「ゴトク班は人数がたりませんが、今日はとりあえずいつもどおり国境の哨戒にあたってください、補充人員のほうは三時までに連絡を入れますので詰め所のほうで待機をおねがいします」

はい、と答えると連絡係がこちらに近づくようにと手招きをする。競技場の入り口のほうにざわめきがひいていく中、憚るようあたりに視線をはしらせ、サスケともう一人の下忍とそれぞれの目をまっすぐみながら声を落とす。

「ゴトク班長の奥様がきょうのお昼になくなったそうです。お通夜は明日の夕方から、告別式は明後日です。どちらかに出席するなら今日の夜までに窓口まで申請してください」

以上です、と告げられ解散をいいわたされた。

里境につくられた隔壁そばの詰め所に行ったところで前をあるく金色頭にサスケは眉をしかめる。無言のまま横に並べば、ナルトはよう!と声をあげた。

「サスケさ、詰め所ってしらねえか。俺そこの手伝い行かなきゃいけねんだってばよ」

やっぱりこいつかとため息をつくのにむっとナルトは眉を怒らせた。

「んだよ、むっかつく奴なのは変わってねえなあ。つーかお前も知んないんじゃねえ?」
「アホか。手伝いなら手伝いらしく手伝う相手の顔覚えろよ」
「なんだよ、カカシ先生の下っつうからお前がいるとは思ってたけどよー、って手伝い?」

手伝いっていったのかよ、サスケ、と妙にねちっこい口調でナルトが繰り返すのにサスケは訝しげな顔をするが、チェシャ猫のようににやつくナルトにいっそ凶悪とみえる顔になる。

「なんと俺、班長代理なんだってばよ」

へっへどうだ、なんせ上忍だかんな、ぎゃふんと言いやがれ、と笑うのにサスケはくだらねえと一言つぶやいたのみだった。









サスケは喪服をそろえたもののハンガーに引っ掛けているだけで通夜も告別式にもでなかった。ゴトクが職場にかえってきたのは告別式の翌日だ。

その日の任務を定時に終えて、ロッカールームで着替えていると、お悔やみ申し上げます、と聞こえる。その一つ一つに黙って深々とゴトクは頭をさげていた。一時期の忙しさが嘘のようにいまは通常の業務を行っているだけで、サスケが時計を見れば仕事入りがはやかったため、まだ暗くなりもしない時分だった。

ゴトクの住まいはフェンスで覆われた遊水地のそば、すり鉢のようになった里でも低い位置にある戸建てのちいさな賃貸住宅がいくつも並ぶあたりにひっそりとある。鉄パイプを組み合わせたような柵には色あせてもう写真もよくわからないポスターが埋め尽くすようはられている。

チャイムを押してもなにも音がしないため、サスケがノックをしながらごめんください、と声をあけると、ドアが薄く開いた。

どうして、と呟いたゴトクに喪服をきたサスケは頭をさげる。

「式のほうにでれなかったので。―――あ」

すべり落ちた封筒をサスケがとろうとした手はしゃがみこんだゴトクの手に払われた。思わず手をひっこめたゴトクはすみません、と口早に呟いてから落ち着かない目を床あたりにうろつかせてから、おどついたような笑みをみせて封筒を拾いあげる。

立ち上がろうとしてよろついたのを支えると、すみません、とゴトクは呟いた。焼香を終えて振り返る耳にまたすみません、とゴトクの声がする。

「すみません、ほんとに。申しわけない」

とても聞いていられなくて、まともに辞去の挨拶をしたかも覚えていない。枯れはじめた蔦をからみつかせたフェンスを横手にゆるい石段を上っていると同じ喪服の男に出くわした。

またあんたか、と言えばまたってなによ、とカカシは笑う。

「花をおくるだけってのもあれだからね、これからゴトクさんとこ行くんだけど、お前も?」
「いや、俺はもう行ってきた。あそこの端っこだ」

サスケが指差したほうをカカシは見つめて、よくわかんないねえと頭を掻く。

「ふうん、ま、ありがとさん」

じゃあな、と言い交わして別れ、買い物をしてから帰れば随分と落ちるのが早くなった日が幾重にも折り重なり連なる雲峰の間から茜に染まった光をなげていた。寮の階段をのぼった踊り場でサスケが立止まると、部屋の前にいた人影はこちらに気づいたようだ。









カカシが家に帰りついたのは冬の星が高くなった頃だった。寮の一階にあるポストを開けてみるが何も入っていない。昨日の今日じゃまだか、とカカシは諦めて階段を上った。思わず近所の気配をさぐってしまうのは、春頃からの癖だ。どうも彼は留守らしい。

玄関でサンダルの留め金を外しながら、ドアについているポストを開くと数日分のチラシや水道料金の請求などが入っているが、それらしいものはやはりなかった。

翌朝もまた雨だ。顔を洗うついでに洗面所の窓をあければ蜘蛛の巣に水滴が玉のようにまつわっている。欠伸をした拍子に息が白く曇ったのをみて、カカシは首を竦めて窓を閉じた。

新聞をとるついで、ドアについてるポストをひらく。冷えた金属板に手をつっこむと、かさりとあたった封筒をつかみ、カカシは裏返した。程ほどの厚みがある。宛名はない。

手甲をはめながら書類が置かれた机に歩み寄り引き出しをあける。カッターナイフで封筒を切って取り出したところでドアがノックされた。

「はいはい?」
「カカシ先生」
「サクラか?どうした」

便箋に視線をおとしたカカシは目を眇め、封筒に紙をもどした。ベストのポケットに畳んでおしこみドアをあければ、走ってきたのかすこし白い息を吐いたサクラが目を揺らした。

「サスケくんが……警務隊に連れてかれたって」







やがて明るくなりだした空はうすい灰色に曇ったまま雨をおとしている。ときおり鳥の声がする他はしずまりかえった拘置所は、壁にあたる雨の音だけがしていた。

固い毛布をひきよせて冷たい壁にサスケは背をあずけ、膝に耳を押し当てた。荒れる風のような音がゆっくりと耳を骨を揺らすのに、始終体の奥を波立たせているなにかがだんだんと静まってくるのがわかる。抱きしめてくる腕をなくしてからの癖だ。胸郭の奥から揺さぶる鼓動は急げと進めと叫ぶ声になり時としてあの男の声にもなり無為に時間が過ぎていくのを強く断じている。

息が腕と膝の間にこもってちいさく体をあたためるのにすこし体をふるわせ、サスケはゆっくり目を瞑った。






















「焼けない心臓 8」/カカシサスケ











焼けない心臓 7
焼けない心臓 9






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