ちかちかと海の彼方、とおく瞬く船の信号灯に眼をやっていたツナミはかけられた声に顔をあげた。店員が軽く頭を下げるのに声をかける。

「……なにか?」
「いえ、なにかお飲み物をお持ちしましょうか?」
「じゃあ、珈琲を」

追加注文しながら時計を見あげる。もうすでに待ち合わせから三十分を経過していた。早めについてしまったせいで、喫茶店においてあった雑誌を読んでいたのだがそれも読みきってしまった。

たちあがったツナミは電話に硬貨をおとして、書き留めておいた番号にかける。交換台からつながれて発信音が三度ほど響いたところで、ガチャリと受話器をおく音がひびくのに、送話口に話しかけた。

「もしもし?」

だがすぐ終話をつげる信号音がするのにため息をつく。もう一度かけてみても結果は同じだった。一人住まいということなのだろうか。数年前に再婚したとだけ、聞いてはいる。

(それも私には関係のないことだけれど)

イナリが物心つく前に別れた男だ。ほとんど誰もが子供がいるなら別れない方がいいといったが、とてもじゃないがもうやっていられなかった。人間についてなにもかも諦めてしまう瞬間というのは確かにあるのだ。泣き喚くイナリをあやしている耳にテレビをみて小さく笑い声をあげているのが聞こえた瞬間、もう無理なのだと悟ってしまった。

また三度ほどの発信音のあと、今度は普通につながる。もしもし、と言えば返ってきた声に待ち合わせをしている旨をつげる。だがすぐにおかけ間違えではないですか、と切られてしまった。

「お客様」
「はい」

声をかけられてツナミが振り返ると、年配の店員が頭を下げた。おまちあわせでしょうかと訊かれ、さらに名前を訊かれるのに困惑しながらも頷けば、伝言をいただいておりまして、と元夫の名前を告げた。

「一時間ほど前に従業員が伝言をいただいておりましたが、その、アルバイトがきちんと引継ぎをしないまま返ってしまいまして。長くお待たせをしてしまって、まことに申し訳ありません」

平身低頭といった様子の、おそらく店長なのだろう男が言い募るのに、困惑したツナミは口をひらく。

「あの、つまり、来ないってことでしょうか?」
「ご親戚に不幸があったとかで、また後日連絡をしますからとのことです。連絡先はすみません、承ってないようです」
「……そうですか」

お代のほうはもちろん、いただきませんので、と店長は頭を下げた。わかりましたと告げたツナミは額を押さえてため息をついた。勘違いをした店長が申し訳ありませんと慌てて付け加えるのに、ちがいますと首をふってぎこちなく笑う。ご馳走様でした、とツナミは告げると早々に店をでた。

行きに比べればずいぶんとはやい足どりで通りがかった商店、看板の見覚えがある模様に、ツナミはふりかえる。洋菓子店ははりだした軒も水錆のあとがついて、タイル張り風の壁の古びていて鉢植えが飾られた店構えもどこかなつかしい。イナリがこの店のシュークリームが好きだったのを思い出した。今はもう亡いカイザが町にでかけるたびに買って帰ったから、毎月最後の水曜日にはいつもシュークリームがおやつになったのだ。

(こんなとこにあったのね)

ガラスケースの奥に粉糖の雪冠をかぶった菓子がならんでいるのを見て、ツナミは店のガラス戸を押した。ドアに吊り下げられたカウベルが小さい音をたてる。はいはい、と白い調理服をきた老人が厨房らしい奥からカーテンをあけていらっしゃいませ、と頭をさげた。

覗き込んだツナミはシュークリームを三つとエクレアを三つ頼む。今日明日にはカカシたちは家を出てしまうといっていたから、最後の夕飯のあとに出すのもいいかもしれない。さみしくなる、とここ何日かの騒がしさをおもってため息がでた。

予定が空いてしまったから今日の夕飯は凝ることができる。カレーがあるからもうすこしなにか作ってもいいだろう。なにせ食べ盛りが三人もいる所帯は食費だけでもけっこうかかるのだ。なにをつくろうと考えながらツナミは市場へと足をすすめていった。

本当はすこし、話をせずにすんで安堵したのだった。イナリの進学を考えるとどうしても先立つものが入用になる。あって困るということはないし、実の父親なのだ。イナリが気兼ねをすることはない。イナリが決めればいい。自分はあまりにイナリにしてやれることが少なすぎる。

それでも、イナリをよこせといわれるのかと思えば竦んだ。

幼い子供に母親は必要だとみんないったし、そのころ彼は非常勤の美術教師というだけで絵画教室の手伝いをしたりだとか安定した職にはついていなかったのも、籍をきちんといれていなかったことも大きな理由だった。 だが個展を何年か前にだせるようになったことをきいたし、今はきちんと本島の大会に審査員として呼ばれるだけの人物になっている。経済力だけでいえばパートとタズナの年金でくらしているツナミの家にくらべればよほど安定しているし、イナリがどんな道に進みたいといっても助けになるのだろう。

(やっぱり、血なのかしら)

イナリの描いた絵が褒められるたび、絵の具をあたらしく買ってやるたび、サマースクールの準備をしてやるたび思った。イナリが描いた橋の絵を見て、どんな気持ちでコメントを描いたのだろう。自分にはあまり絵のよしあしは分からない。

(イナリに、なんて言えばいいかしら)

ちゃんと話はできるだろうか。イナリの笑った顔をあまり間近で見ていない。声もあまり聞いていない気がした。息苦しくてうっとうしがられていると思えば放っておくしかないのかと思うが、イナリの将来にかかわる大事な話なのだ。適当に放っておくなんてことできるわけがない。

小さい頃に好きだったお菓子で機嫌をとろうなんて、とツナミはすこし笑った。それでもいつもツナミが半分残すのをイナリが欲しがること、とてもうれしそうにかぶりつく顔を思い出して、ほんのすこし足が早まるのをおさえることはできなかった。

村の、すこし手前にさしかかったのは夕方、汐のにおいにまじって、空気がわずかに湿気ているのに雨がちかいのだろうかと思う。朱金にきらめく海のとおく、夕霞のむこうに雲がわだかまっているようだった。 足早にあるいていると、いつも世話になっている酒屋の店員がとおりがかるのに頭を下げる。自転車を放り出すようにしてとめた店員が、慌ててツナミのそばに駆け寄った。

「ツナミさん、あんた何処行ってたんだい。イナリくんも一緒じゃないのかい?」
「はい?」
「あんた、お父さんが大変だよ。怪我なさって」

青ざめた顔で告げられるのに驚いて口元を押さえる。

「怪我?」
「なんか火事みたいでさ、ほら」

言われて家のほうを見れば、村はなにか祭のようにざわついている。あわてて荷物を抱えなおして走り出した。坂道をあがったところでほそく夕空に煙が幾筋もたちのぼり、蟻のようにむらがっている人だかりがあった。すみません、家のものです、と言えばとたんに群れがわかれて道が開ける。

赤瓦の屋根が傾いてつぶれた家から飛び出した真っ黒に煤けた柱、水浸しになった土台がむきだしの捲れ上がった床、燃え残っているのは台所や風呂場などの水周りだろう。すでに鎮火ずみらしい、だがそのことがなんの救いになるだろう。

「ギイチさん」
「ツナミさんか」


声をかけてはしりよってきたのは、父の仕事仲間だった。

「あんた、今度は大変なことになっちまってな。しかし、怪我もなくてなによりだ」
「それより、父が」
「ああ、タズナがな。大丈夫、命には別状ないそうだ。そいで、イナリは?どうした」
「…私も、帰ってきたばっかりで。友達と遊びにいってる、はずです」
「そうかい、よかった。一応な、先生に連絡して探してもらっとる。おい、セツばあ」

ギイチが呼ぶのに風呂敷包みをもったセツが近づいてきた。このたびは、と頭を下げるのにぼんやりしながらツナミも頭を下げる。

「今日のところはイナリくんはうちで預かるから、あんたははやく病院いって来んさい。イナリくんが行きたいっていったらあたしがあとから連れてってあげるからさ」

おしつけられた風呂敷包みを見下ろす。あたたかい手がツナミのひえきった手をつつんで、ゆっくりとさすった。ひどく自分の手がふるえているのにツナミは気がついた。

「タズナの着替えになるだろうと思ってさ。うちの死んだじいさんの奴だけどねえ。丈が合わないのは堪忍しとくれよ」

みんな水浸しになっちゃっただろうからさ、と気をつかってくれたのだった。唇がふるえて声も揺れる。

「…ありがとうございます」
「じゃあツナミさん、行こうか」
ギイチが促すのに頷いたツナミは風呂敷包みをかかえて頭を下げた。







失礼します、と部屋の外からかけられた声にぴたりと声は止み、なんだ、とアジロが返す。あけた板戸の前に膝をついた傀儡衆らしい男がすこし、とアジロを呼ぶのに下がって耳をよせた。ほぼそぼそと報告をきくうちにカカシの顔をみたアジロが青ざめていく。

「なにか、ありましたか」

資料をたたんだカカシの声にアジロが口を開いた。

「お世話になってるタズナさんの家が、火事になったそうです」
「火事?」
「ガスだかなんだかしりませんが、爆発したそうで。タズナさんが診療所にはこばれなさったと。命に別状はないそうですが」
「……」
「どうしますか?」
「ナルトとサスケならどっちが捕まりそうかな」
「二人ともたぶん、すぐつなぎはつきます」
「知らせて、病院にどっちか先に行かしておいてください。俺はもうすこし此処にいさせてもらいます」

  すみません、それではさっきの続きを、とカカシは報告をさえぎられた形になった傀儡衆を促した。

「あしの一族は草のなかでも、波の国に縁のある奴らです」

水の国と波の国の親交はとても長い。現在の火の国、水の国があるそれぞれの大陸間での水上交易での中継地点ともなり、水の国近郊から螺鈿細工のもとになる夜光貝をもとめて多く商人たちがやってきたし技術をもった渡来人たちもおおく訪れた。あしの一族は渡来人の流れを組む。

やがて水の国と朝貢を中心とした交易が開けたが、火の国の大名が交易をもとめ圧力をつよめるうちに交易も間遠となり、忍界大戦で火の国の傘下に組みこまれてからは細々としたものだ。だが忍界大戦が終結してからいまだ四半世紀もたたない、また風俗、習慣ともに水の国の文化の片鱗が波の国には多々見られた。

「わしら木の葉よりも、浮き草の連中にも顔がききますし、傀儡や草の斡旋がうまい。何年か前にもひとり、寝返りました」

「ああ、知ってますよ」

いったカカシに傀儡衆が目を瞬く。

「暮らしに困って、情報を話しちゃったみたいですね。子供が何人もいたみたいで」
「アマネもそれにあったのかも知れません。勤め先の連中から、何度か変な男からの電話があったとの情報がこないだあがりました」
「そうですか」
「アマネ程度の傀儡が、たいした情報をもっとるはずもないんですがね。連中、それを承知でやりやがる」

傀儡は何事もなければ、里から一定の給付をうけることができているし、地域社会内での仕事の斡旋など見えないところで優遇される。だが裏切ったとなれば他の里の草も受け入れようとはしない。裏切ったということは信用を損ねることだからだ。忍が里をぬけることと同義だった。

一生を台無しにするようなことだ。すくなくとももう波の国にアマネはいれないだろう。

「アマネが着ていたらしい制服をつかってる会社の洗い出しもできました。裏はセイさんにとれました。そこの会社の顧客が全部ガトーカンパニーの子飼いになります。ドヤ街に営業所もありましたよ」

次に口をだした傀儡の発言に、どういうことだ、と寄り合いの席から口々に声があがった。

親会社にあたるところがガトーカンパニーから全額出資をうけている。その親会社になる建設会社の系列に名前をつらねる会社がかつて、波の国一帯の地上げをしていた、きなくさい連中だった。

「地上げ?」

訊いたカカシにアジロが話し出す。

「っていっても土地の買占めってのと違いましてね。ガトーカンパニーと、ここらの地元連中が争ってたときに送り込まれた、十年前ぐらいにやってきたヤクザみたいな奴らです。タズナさんとこの、カイザさんでしたか、その人を捕まえたのもそいつらです」

そうですか、と呟いたカカシは思案をめぐらせる。

あしのの背後にいる霧隠れの里、つまりは水の国がガトーカンパニーに近づいている。おそらくはツナデの読みどおり、大戦前に袂をわかった波の国を火の国から引き剥がして勢力に組み込むつもりなのだろう。

「アジロさん」
「はい」
「火影さまに伝令をお願いします。たぶん、タズナさんちの事件は、オレ達のせいで狙われたってこともありうる。救援を頼みたいといってください。下手すると、俺みたいな忍風情じゃ話が収まらないかもしれません」

承りました、とアジロが頭を下げるのに、カカシは立ち上がった。

かけつけた病院の廊下、ベンチにすわるツナミがいた。頭をさげると、茫洋とした眼差しでカカシをみて頭をさげかえした。トイレから帰ってきたサスケが顔をだすのを腕をひっぱった。

「タズナさんの容態は?」
「煙でちょっと眼をやられてる。あとは火傷。いまは寝てる」
「なにがあったの」

尋ねたカカシに、サスケはツナミにすこし眼をやって声をおとした。口の動きだけで伝えてくる。 「ガス爆発って話をいってるが、おそらく忍の仕業だろうと思う。ツナミさんは元栓はきちんとしめてったっていってたし、なんか、荷物が届いてたらしい」

「それが?」
「おそらく」

青い制服をきた配達員が、といってたから、と付け加えるのにまさかと思った。長居をしすぎたか、とカカシは頭を苛立たしく掻いた。

「こんな長く泊まるべきじゃなかったね」

もしかしたら一泊だってするべきじゃなかったのかもしれない。それでも普通、忍は一般人を巻き込むことをいやがる。隠れ里の外にでればあやしい技術をもった人殺し予備軍のようにしか見られない、警務隊につかまる犯罪者も忍崩れがおおいことから、所詮日陰を歩く身でしかなかった。

「それで、ナルトは?」
「イナリを探しにいってる」
「わかった。それで、クチナワのほうはどうなった」
「つなぎはついた。あちらもあんたに挨拶したいと思ってたらしい」
「そうか。どういう男だった?」

 尋ねたカカシにサスケは黙りこむ。

「……多分、戦闘力は下忍にも劣る」

よろしくおねがいしますよ、とわらうカガチにサスケが呑まれていたのは確かだ。

「戦闘力はって、言うあたりが怖いね。サスケ」

低い呼びかけにサスケは顔をあげる。カカシの色の薄い目が見ていた。

「 なにか、言われたのか」

「クチナワのカガチが、タズナさんの家が危ないと」

いつ言われたとは言わなかった。

「……そうか」

まだ見つからんのか、と聞こえた声にカカシとサスケが振り向く。廊下をあるいていけば開けたロビーのまえに確かギイチといったか、タズナと同年輩くらいの老人が煙草を吸っていた。

「じいさんが大変だってときになにやっとるんじゃ」
「いちおう先生も同級生の子たちにも声かけてくれてるんじゃないかしら、あら」

ギイチと話をしていた近所の女性がたちあがり、とおりすがった看護師に声をかける。準夜勤なのかいま出勤してきたばかりらしい。

「ねえ、たしか息子さんイナリくんとお友達でしょ、今日一緒に遊んでたんじゃないの?」
「ええ、さっき帰ってきたところですよ。イナリ君は先に帰っちゃったみたいですけど」

え、と驚く声にカカシとサスケは耳をそばだてる。看護師は大変ですよねえ、と声をひそめた。

「あしの先生がイナリくん迎えにきたって、うちの子騒いでましたもん、タズナおじいちゃん大丈夫なんですか?」
「――――あしの?」

呟いたカカシにギイチが頷く。

「あしのチガヤ先生じゃ。イナリの担任の。ツナミさんもようお世話になっとったぞい」

東の空にわいた雲、ひくく遠雷の音が轟いている。









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