待ちくたびれた、といってチガヤは脱力したイナリの髪の毛を掴んだ。あげさせられたイナリの顔が血まみれなことにサスケの眉がわずかに跳ねあがる。細まる黒目にチガヤは唾を飲んで呼吸を整えた。首筋の毛がかすかに逆立って、わずかに足が震える。恐怖だろうか。ちがう、昂奮だ。 「そいつを放せ」 「ああ、いいよ」 髪の毛から手をはなせば子供はすぐに床に倒れた。ひどく咳きこんで、血まじりの痰を吐き出す。息がつまっていたのか、呼吸がずいぶんと荒いのが耳障りだ。 「こんなガキどうだっていいんだから」 「……」 「あんたをおびき出せればどうだっていい」 腰にいれていたポーチからクナイを取り出して握りを確かめる。吸い付くような鉄の感触が肩までのぼってきた。丹田から頭、頭から四肢へとめぐる光の球を思い浮かべチャクラをゆっくりと練りあげる。 体を落としたサスケが後ろでに刀を鞘におさめ、印をくんでいく。喉元から変成したチャクラの火を吐き出そうと息をすったとたん。 「遅いよ」 踏み込んだチガヤの蹴りがとっさに交差させて顔面を庇ったサスケの腕に当たった。みしりといやな軋みをたてる。吹き飛ばされるのに逆らわず床を蹴って、壁にぶつかった。 思わず咳きこんだサスケの顎に、チガヤの腕がはまり、壁に縫いとめる。心臓をクナイがえぐりこむように貫こうとする。ぎしっと奥歯を噛んだサスケは壁を蹴って身をよじる。振り上げた足でチガヤの軸足を蹴った。 「っ!」 がくんと落ちた足をすくいあげてサスケはチガヤを投げ飛ばす。訝しげに目をほそめるサスケと距離をとったチガヤは笑った。 「たかが傀儡あがりの忍風情がさ、あんたみたいなの相手になんもそなえてないわけないだろ」 すとんと手の中におちたクナイをぐるりと回す。指の中でもてあそびながらチガヤはごきりと首を回し、手首をひらめかせた。 軽い音をたててサスケは投げはなたれた手裏剣をすべて弾き飛ばし、床を蹴る。足元を正確にうがっていくのをぎりぎり、避けるのをみて笑ったチガヤの、一本。 「チィ!」 床にころがったイナリに向かうのを手裏剣で叩き落す。気がそれたサスケの左手を、クナイが抉った。握力がゆるんだのか、握っていたクナイがすべりおちて床をころがっていく。 とっさに床に手をつこうとしたが、手首がいきなりしびれ、指先に力がはいらない。ずるりとすべるのに慌てて膝をつく。 「!」 懐にまわりこんできたチガヤの肘が鳩尾から背中まできれいに入る。はねあがった裏拳がサスケの顔面に叩き込まれる。顎をひいたサスケの首筋に、重い蹴りが入った。 「あんたさ、幻術とかつかえるんだろう?だからさ、チャクラ使えないようにしてんだよ」 うつぶしたサスケの上にチガヤは馬乗りになる。片足でサスケの左手を踏みつけた。ぐるりとクナイをもてあそぶ。 「あんた、いま左手がおかしいんだって?」 「……」 「だったら、ソレ、駄目になってもいいよなァ」 肩口と二の腕に膝をのせられ、骨がきしんだ悲鳴をあげた。跳ね起きて飛ばそうにも体重を丸々のせられているせいで呼吸もままならない。 どん、と左手の甲にクナイが突き立つのに、びくびくと指先がひきつった。そして手首にももう一本。 チガヤの手が抉りこむようにひねられ、焼ききれそうなほど弾ける苦痛に、声もまともにでない。 「なあ、あんたのかけた幻術で、娘は死んじまったよ」 荒い呼吸をくりかえすサスケの左手をチガヤの手がつかむ。親指、爪の中に薄刃がねじこまれた。 「っあ!」 べちん、とてこの原理でもちあげられた爪が跳ね上がり、チガヤの頬にあたり、服にはりついた。床の上にちいさく血が飛び散る。歯の根が合わない。むちゃくちゃに足が床をもがく。 「あんたさ、兄さんに復讐すんだってなァ。なら、私は、まちがってないよなァ?」 人指し指の爪と肉の間にもう一度薄刃がねじこまれる。肉をかき回されて、はじける痛みにサスケは床に頭をこすらせた。もう一枚、爪をはがされた。 「まだ十九だったんだよ。娘はさ。だから、あんたに、とやかく言われる筋合いはないよなア?」 ぶつんと差し込まれる重たい刃、ぐるりと眼球が脇に行く。引き抜かれた先から、蛇口のこわれた水のように鮮血がふきあがる。びしゃりと床をぬらした赤い雨に、サスケは目を動かした。 「この、ガキがァ!」 いつのまに拘束をほどいたのか、イナリがクナイを握りしめていた。刺された腕を押さえたチガヤが怒号をあげてたちあがり、逃げようとするイナリの襟をつかまえたときだった。 「てめえこら、サスケェ!」 なにだせーことやってんだ!と怒鳴る声と同時にビルのガラスが思い切り割れる。陽光に水飛沫のようにきらめいてガラス片がとびちった。 ごろりと受身をとって、たちあがったのはナルトだった。膝をはたいたナルトが床にはいつくばっているのを一瞥してだせえ、というのに、サスケは目だけをうごかした。 「……なに、してやがる」 「おまえがヘマしてねえかと思ってよ。そしたらアンノジョウこれだしよ。ま、ヒーローは遅れてくるっていうかあ、シンダ登場っていうかあ」 ナルトが笑うのに、アホかウスラトンカチ、とサスケは呟く。痛みのせいでまだびりびり痺れる指先を、動かした。 「シンダじゃねえよ、真打ちだ」 「……サスケェ」 「なんだ」 「てめえはそこでおとなしく寝てな。フッ、世話のやける奴だってばよ!」 「……」 後半、やたらと芝居くさい言い草にサスケは眉を顰める。なぜかサスケを庇うようにたったナルトはなにやら感涙にむせんでいるのかプルプルしていた。 「っあー!俺これ念願のキメ台詞だったんだってばよ!なんでここにギャラリーいねえかなあ!」 「怪我人がバカいってんじゃねえ。ぼさっとしてんな」 「うお!」 頬をかすめたクナイにナルトはのけぞる。包帯で固定された場所が痛みをあげるのに、息が詰まった。悶絶する。 「〜〜〜っ」 「ほら見ろ」 淡々とつっこむサスケに、脂汗をだらだらたらしたナルトが低く罵る。まさにガキの喧嘩だ。おまえら、と腕をおさえたチガヤが怒鳴る。 「ふざけるな!」 わけのわからない金髪の子供がとびこんできたとおもったら、いきなり場が躁になった。ぐい、とイナリを掴んでクナイの刃を向ける。 まかせとけ!と笑ったナルトは多重影分身の術!とさけぶ。だがなにも起こらない。 「多重影分身の術!」 「大声だしたって出るもんじゃねえよ」 「あれ?」 「あれ?じゃねえよ」 ナルトはクナイをもったまま、サスケをみて、それからイナリを捕まえるチガヤを見た。チャクラが錬れない!と叫ぶのにサスケはため息をつく。 「もしかして……ピンチって奴?」 だがナルトの碧眼がチガヤに首を捕まえられたイナリをみて、きゅう、とほそまった。チガヤを睨みつける。 「……あんた」 「……」 「あんた、ガキを、そんなになるまで殴ったんかよ」 「それが?俺は、娘をころした奴を殺せればどうだっていいよ」 せせら笑うチガヤがクナイの刃をイナリの腫れた頬におしあてる。 「あんたの、お友達だって同じことだろうが」 ぐっと詰まるナルトにチガヤが笑う。 「俺がわるくて、アイツは悪くないっていうのか?そんなわけないだろう?」 どん、とナルトにむかってイナリの体が突き飛ばされる。受け止めようと手をのばした瞬間をねらって、天井ちかくまでとびあがったチガヤがクナイを突き刺そうと落ちてくる。 「っ!」 「だったら」 イナリを庇って床にころがったナルトに、間髪いれず手裏剣が飛ばされた。 「だったらオレのなにが悪いっていうんだ?」 背後にまわったチガヤが放つ蹴りを身をひねってナルトは避ける。だが脇腹の傷をかすめられ、はしった激痛に床に突っ伏した。 襟首をもちあげ、ガラスが散乱した窓の外にナルトの上体を引きずり出す。首筋にとがったガラスが突き刺さりかけるのが分かる。 「……悪くない、なんて思っちゃいねえし」 「あ?」 チガヤは喘ぐようにつぶやいたナルトの声に耳をよせた。 「サスケが、いいなんて、オレぜんぜん思ってねえし。ていうか一言もいってねえし」 がし、とチガヤの両手をナルトの手が掴む。 「つか、むかつくことに変わりねえし、スカしてるし、ネクラだし、文句ばっかりいいやがるし、サクラちゃんに優しくしねえし、でもサクラちゃんにえこひいきされてっし、ほんっと全然見る目ねえよ、サクラちゃん」 「なに、わけのわからないことを――――?」 「でもさ」 白い歯を咲かせるようにナルトは笑って、目を閉じる。 「オレら、ちゃんと知ってるし」 髪をひっぱられて、チガヤは息を飲む。両手をはなして応戦しようにも、軋むほど握られてうごけない。ふりかえった視界を赤黒い闇がおおいつくし、鉄錆の匂いが鼻腔をついてむせ返る。血で目隠しをされたのだと気がつくまもなく、ぶつんと首筋にはじけた痛みに意識が暗転した。 |
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