本当に、と落ち着いた声がたずねてくるのに、イナリは肯いた。小息みなく鳴きしきる蝉の声が大きくなった気がした。木造の校舎の中、閉じられたカーテンから漏れる光に埃がゆったりと揺れている。

うーん、そうか、と顎をなでた教師は眼鏡をはずし、すこし眉間を揉むようにした。眼鏡をゆっくりとかけなおすと、冊子を閉じ、うん、とうなずく。

「よし、わかった。もう話はおしまいだ。かえっていいよ」
「はい」
「それでこれは資料だ。あげるからおうちに帰って目を通しておくといい。ちゃんと、親御さんに相談するんだよ。後ろのほうにいろいろね、案内が」

先生、とイナリが言えば教師は資料をおしこんでいた封筒から顔をあげ首をかしげる。

「家の手伝いがあるので、もう帰ります」
「ああ、そうか。ひきとめてしまってすまない。おかあさんとおじいさんによろしくな」

はさみを入れたばかりらしく、短く切られた襟足がすこしそげた頬の線が見えている。この年頃の子供がおおきくなるのはあっという間だな、と見上げた教師は手を振った。人気のない校舎のなか、遠ざかる足音が響いていた。

足元を蛇のようにのたくりながら水が土の上をながれていく。どこから、と思って顔をあげると夏季休暇の合間きているらしい生物係のクラスメイトだった。すこし土でよごれた野球のユニフォームを着ている。よう、と声をかけるのに肩掛けカバンを直したイナリも片手をあげる。

「おまえどうしたん」
「終業式、こなかったから」

呼び出された、というとだっせえな、と笑い、クラスメイトは蛇口をひねって水をとめ、ホースを手繰り寄せる。

「じゃあさ、おまえもう決めたの?」
「なにを」
「卒業したらさ、本島の学校か、こっち通うか。決めた?」
「こっちだよ。俺んち父ちゃんいないし、じいちゃん最近、やばいもん」













雨がおちたように糸のまわりに水輪がゆれて、浮きが水面で消えては現れる。本から視線をあげた男は包帯で覆っていない目をゆったりと瞬かせて欠伸をし、舳先のあたりでゆれる麦わら帽子を見やった。

「タズナさん」
「……」
「タズナさん、ひいてますよ」
「ん、お、おお、こりゃいかん」

日に焼けなめした皮のような滑らかな手はまるで流木のようだった。ゆっくりと釣竿を持ちなおし、リールに手をかける。工場のサイレンが波の向こうから聞こえてくる。水気をのせていても汐がしみついた風はどこかざらついている。ウミネコの影が幾度もよぎった。

「逃がしてしもうた…」
「夕飯のおかずが減りますかね」
「なあに、もってってもあんま喜ぶわけでもないしな」

今の時期は身の超うまい魚もおらんしのう、とタズナは銜えたパイプをゆらし唇をまげるようにして笑った。火はついていない。たぶん、銜えているのがすきなのだ。釣りをするのも同じだろう。その証拠に船は船着場にもやわれたまま、隣の漁船の影がつくりだす日陰ににげこんで糸を垂れているだけだ。テグスの影さえも見て取れるような翠藍の澄んだ水にはめったに魚の影もみれなかった。素人目にもわかることをタズナが知らないはずもない。

釣り針に餌をつけおえたタズナは軽く放り、リールを回しながら方目だけでカカシを見る。

「先生こそこんな爺につきあっとらんで街にでもいかんのかね。昔とくらべたらずいぶん、楽しそうになったもんだ」
「俺、うるさいの苦手なんですよ」
「先生、じーさんだもんな、そういうの」

ぐらりと船が傾くのにふりかえればビニール袋をさげたナルトが、船に乗り込むところだった。グレーにオレンジでロゴプリントの入ったシャツと、緑のカーゴパンツ、サンダルだけは里から支給された味も素っ気もない黒いものだったが、忍者だとはとても思えない。

「なんじゃ、そりゃ嫌味か」
「ちっげーってば、なんだ、先生はなんつうの、じーさんって言葉が悪いな、根性が老けてんのか?オヤジ?」
「…おまえね」
「んでこれ、喉渇いてるだろと思って、お茶と水。メシはツナミさんがつくってっからあとちょっとしたら帰るってばよ」
「相変わらず、超態度がでかいガキじゃな」

体の割りに、とつけ銜えるとナルトの眉が跳ね上がった。

「これでも俺のびてんだぜ」
「先生よりゃ低いじゃろ」
「先生よりスタミナはあるってば」
「……どうせすぐばてますよ」

笑ったカカシにタズナはなんだ、と眉をすこし上げる。

「先生、老けたのう。情けない」
「だはは、やっぱじっちゃんもそう思う?」
「やなこと言わないでくださいよ」

よっこいせ、と立ち上がったタズナがよろけたのに、ナルトが肘を掴んで支える。すまんの、と眼鏡を直したタズナにナルトが眉をすこし顰めた。

「タズナのじいちゃん、こんな昼日中っから酒のんでんのか」
ん、と訊きづらそうに顔を顰めて耳を傾ける仕草にナルトは一瞬ためらって、それから息を吸い込むと大きな声で言い直した。「酒のんでんなっつの!」

「ビールは酒とちがうわい」
「なんの理屈だってばよ、それ」
「大体な酒は百薬の長なんじゃぞ」
「どっかのエロ仙人と同じこというなっつの」


皺よった顔をくしゃりと穏やかに笑ませたタズナは釣竿を持った手でナルトのむき出しの方をばちんと叩く。顔を顰めるナルトに、いいんじゃ、と笑った。見下ろした体は五年前よりすこし背中が曲がっているし、小さくもなった。あのころの自分が小さかったとはいっても、たぶんカカシも同じことを思っている。

「なあに、隠居に酒のなにがいかん」







ガチャリと鳴った音に縁側で胡坐をかきながら巻物をひろげていたサスケが目をあげる。ブーゲンビリアの熟れた色をした花がからまった石垣のむこう、キャップをかぶった頭が揺れながら近づいてくる。

ぺこりとキャップをかぶったまま頭をさげるイナリにサスケも頭を軽く下げた。

「かあちゃん、ただいま」
「お帰り。遅かったのね、どうだった」
「課題もらっただけだよ、疲れた。ご飯は」
「あと三十分くらいかかるわ。サスケくんももう少し待ってね」
「お」

かまいなくを言う前に、電気がついていないせいで影のおちた台所、水を使う音の向こう側から明るい声が返ってくる。

「できたら食べちゃいましょう、おじいちゃんたち待ってたらいつまでも食べれないわ」
「じゃあ呼んできます」
「え、じゃあ俺もいく」

巻物をすばやく丸めて立ち上がったサスケがサンダルに足をつっこむと、イナリもサンダルを三和土に落としてかがみこむ。それから小さい頭をぐるりと後ろにまわし、畳に手をつくと四つんばいになって台所に叫んだ。

「かあちゃん、文房具買うからお金」
「お財布から持ってきなさい」
「ん」
「じゃあ一緒に牛乳とお酢買ってきて頂戴」
「わかった」
「お菓子も買ってきていいから」

ツナミの最後のセリフにイナリが笑う声がする。

サンダルの底からじわりとはいあがってくる熱、日の当たる場所にでれば目の前が赤くやける。この国はほんとうに日差しがつよい。ナルトもサスケもあっという間に陽に灼けて、肌の色がすこし変わった。カカシはどうだかもともとでている面積が少ないからわかりはなしない。漆喰でかためられた石段を降りていくと、軽い足音がして後ろからイナリが追いかけてきた。

「そっちじゃねえって、サスケのにいちゃん。こっち」
「……」





「うちはサスケ」

どかりと腰をかけたツナデはクリップでとめられた報告書を差し出して、サスケに手渡した。同様のコピーがカカシとナルトにシズネの手から渡される。

「はい」
「昨年の案件参百弐拾五号に関して報告をせよ」
「……ここにある報告書に記載されたとおりです」
「おまえ個人の見解を聞かせろってあたしはいってんだよ。バカかおまえは」

容赦なく切って捨てるツナデにサスケは眉をすこししかめただけだった。ナルトが吹き出しそうになるのに、カカシはこらえてとなだめる様に肘でつつく。ため息をついたサスケが報告書に記載されていますとおり、と前置きをするとツナデはたいした性格だなと唇をもちあげた。

「北の森にて野火中忍ひきいる第四班から無線で緊急通知が回りました。哨戒にまわっていたもののうちもっともにちかかったため、俺を含めたゴトク班が散開して向かい、地点甲にて応戦しました。どちらかというと忍というよりは…草かと」
「侵入者は三名、あしのサヨリ、ミヅハ、ミトメの三名、いずれも雨…霧隠れの草と判明した。以降案件参百弐拾五号に関してはゴトク班からあたしに移管。その経緯はすべて手元の書類に記されている。あしの一族に関するものは添付書類として後ろだ。いずれも機密文書だからな、扱いは気をつけろ」

紙をいくらか捲る音が響いた。

「方針としては、あしの一族三名を足止めすることで霧との関係が悪化するのは避けたい。草だとは重々承知しているが、不法侵入者として拘束しただけにとどまっている。すでに国外退去で帰国済だ。」
「帰したんかよ、ばあちゃん」

ナルトが顔を上げるのに答えたのは別の声だ。

「この三名自体はたいした連中じゃねえんだろ。それに、草がお互いの国元にもぐってるなんざ暗黙の了解にちかい。下手に感付いて拘束してみろ。他意があると痛くもない腹をさぐられるハメになる」
「うちはサスケのいうとおりだな。カカシ、なにか補足はあるかい」
「……それでなんで波の国ですか」
「まあ前置きだからな。まずは端的にいう」

どんと執務机に頬杖をついたツナデは三人の男を見回して莞爾と笑った。

「波の国に、霧隠れからすでに数名が入り込んだらしい。だからおまえら、それを探ってきな」
「根拠はなんですかね」
「アマネという傀儡からの定期連絡が一時途絶えて、今朝復活した。だが他の傀儡からアマネは行方が知れなくなっているとの報告がきている。アマネの報告に記載がないことが奇怪しいため、常駐させた隊で探らせてみた」

ばさりと捲られた書類の三枚目にアマネの写真つきの履歴書が載っている。特にこれといって目立った功績はない。アカデミーを卒業したものの、忍者としては採用されずそのまま忍者の補佐をする傀儡になった。それは別段珍しいことではない。忍者よりよほど傀儡や草とよばれる連中のほうが多いうえに、諜報の大部分を彼らが担っている。

「そのアマネが行方不明になる一ヶ月前ほどから、あしのの連中が接触していたらしいとの情報がある」
「信憑性にかけますね。らしいで動かされたんじゃたまりませんよ」

カカシの指摘にツナデはそうだなとうなずいてから報告書のコピーの一部に朱筆で丸をいれる。

「面通しを行ったのは、こいつだ。うちはサスケ、おまえはしってるだろ」
「…ゴトク班で一緒でした」
「あ、俺も知ってるってば」
「おまえらもご存知のとおり、波の国は五年前に橋がかかってから各国との行き来が容易になっている。うちの国もいわずもがなだな。いい顔をせんのが古くから交易をおこなっていた水だ」
「なんで」

ナルトの疑問に答えたのはカカシだった。

「もともと水の国は船舶での交易が多いからね。小国とはいえ、ガトーのせいもあって一国との交易はほとんど水の国が独占してたようなもんだ。ところが橋のせいもあって、まあ水の商人にしたら他国に市場を荒らされたっていえばいいのかね。だから水の国は波の国からの橋に、重い関税をかけている」
「…えげつねえってば」
「しょうがないでしょ、水の国じゃ大名より商人のほうが、金を持ってるんだから」
「まあそれも、最初の二三年は通じたのさ。波の国はまだ回復もしきっていなかったしな。ところが波の国も、いい加減国力が回復してくれば水の国がうっとうしくなる。その露払いに持ち出されたのが、うちの里だったわけだ。ここまでは理解できるか?」
「まあ、わかる」
「盟主として同盟参加国からの訴えを木の葉隠れが断ることもできん。かといって霧隠れと対立することも避けたい。そもそも霧の連中がなにを考えてはいっているのかはわからんが、明らかにこれは他国に対する過干渉といってもいい。」

まあ、因縁もあるからしょうがないんだが、とツナデは貧乏ゆすりをした。行儀がわるいということもシズネはもう諦めている。

地理的な問題からいって、水の国との歴史のほうが波の国は深いだ。

「了解したか?いずれにしろ、調べんわけにはいかないのさ。だからカカシの出張も早めることになった」

ちなみにいっておくが、とツナデはさらに補足をする。

「うずまきナルトとうちはサスケに関しては早い話左遷だ」
「ちょ、ツナデさま!」
「うっるさいね、シズネ、どう取り繕おうが国外におんだそうってんだ、誰だって思うだろうことを前もって言ってやってんだよ」

あわてるシズネをツナデはぴしゃりと黙らせ、サスケとナルトの二人を見上げた。

「おまえらも色々あるからね、とくにうちはサスケ、おまえはゴトクの件もある。ここにいたんじゃ却って問題も起こさないとも限らない、と里は判断した。まあ、都合がいいともおもいな」
「そこまではっきりいわれるとむかつくってばよ」

すこし唇をとがらせたナルトのつぶやきにツナデはひらひらと手を振る。

「国内にとどまってちゃでかくなれんだろ」
「……」
「若いうちに見聞をひろめるのもいい経験だと、あたしは思うがね」
「それエロ仙人と同じセリフだってば」
「それはむかつくな。四の五の言わずにあたしの命令どおり飛んでりゃいいんだよ。どんな問題が起ころうとめのまえじゃなきゃ人間ってのは大概忘れるもんだ。出立の日程はすぐ決めろ、出張の申請書はまわせばすぐに承認を与えてやる」

渡された資料のなかにその申請書がまじっているのに、シズネはつくづく優秀な秘書官でもあるのだと実感した三人だ。解散を命じられてでていった二人を見送るカカシにツナデはなんだい、と視線だけでたずねる。カカシは頭を掻いた。

「俺が厄介ものおしつけられたってことですよね、火影様」
「おまえは鼻が利くからな」

ぱちりと右目を瞬いたカカシは苦笑した。

「……懐かしいセリフいわんでくださいよ。それに買いかぶりすぎです」

















「P.S. I love you.」/TEAM7








と、とろとろ行きます…。
PSは気力が入らないとかけないので。


P.S. I love you.1へ
P.S. I love you.3へ








back