ゆるい坂道をおりていく。夏至をすぎてもまだ太陽は高く光を降らせ、サスケの首筋を焼いた。海沿いだから風が始終あるのはまだよかった。目がくらまないよう自分の影に目を落としながら歩く。坂道をおりきり、石組みの階段のなかばでサスケは足をとめた。

イナリが立ち止っていた。陽炎がゆらぎたつ階段の下、帽子をかぶった中肉中背の男が一人いる。イナリが頭をさげると、紙袋をもっていないほうの手で帽子をもちあげ軽く会釈をした。サスケも頭をさげるともう一度会釈をした。

「先生、なにしてんですか?」
「ちょっとなあ」

上地に用事があって、と彼は笑った。島は海にちかいところを下地、遠いたかいところを上地という。

「へえ」
「夏休みはどっか行く予定でもたてとるか」
「ないっすよ、今年は。学校の、サマーキャンプだけです」
「そうか、まあ、羽目はずしすぎるなよ」

じゃあ、といった教師は頭をさげる。すれちがいざまサスケをみて頭を下げ、階段を上っていく。

「あ、そうだ」

イナリの苗字をよんだ教師は振り返った。

「新学期までなら、申し込みは大丈夫だからな、忘れるなよ」

ちゃんとお母さんにいうんだぞ、というのにイナリは俯き気味にうなずいてわかりました、と口早にいった。すこし駆け下りるように降り、辻の角をまがって緑の影にはいってしまう。階段をおりきったサスケがあたりを見回すと、ちょうど影になるところで立ち止っていた。いきなりゴメン、と口早に謝ってくる。

「今の、学校の先生」
「そうか」
「結構、うるさいんだ」

親切なんだけどさ、構ってほしくねえじゃん、と言う顔に、一人思い出す人がいる。顔に横一文字のスカーフェイス。子供に好かれるのがとても上手な人だった。いつも頑張ってるな、とあけっぴろげに褒めてくれることが誇らしかったとは言えずじまいだった。心配していた、とサクラが言っていた。

(うるさい、か)

自分のまわりにはうるさい人が多すぎる。イナリは帽子をかぶり直し、ポケットに両手をつっこんだ。

「そんな心配しなくたっていいのにさあ。多分さ、オレんとこが母子家庭だっつうの、気にしてんだよな」

この島じゃ珍しいからって見えみえだっつの、と口を尖らせてから数歩歩く。

「ごめん、オレ、ガキくさいかな。別に、あの先生んこと嫌いなわけじゃないんだけど」

恥ずかしそうな声がするのに驚いたサスケはいや別に、といってから、イナリが困った顔をしてるのに言葉が足りなかったか、ともう一度開く。

「気になるときと気にならねえ時があるからな」
「……うん。あのさ、ナルトの兄ちゃんってさ、こういう話すっと、絶対『そんなことねえよ!』っつうじゃん。多分さ、すんげえいい先生とか知ってるんだと思うんだけどさ。でもオレそういう風に思えないしさ、だから、なんか悪いことしてる気分になって」

イナリの語尾がだんだん小さくなる。海から生ぬるい南風が吹いてきた。ひくく遠雷が聞こえる。

「だからさ、あんま、人に言えなくってさ。同級生とかも、先生のこと好きだからいえねえし」
「そうか」

言えてよかったな、と淡々とつづけるサスケにイナリは奇妙な顔をしてから、なぜだか長いため息をついた。子供の考えることはよくわからない、とサスケは眉をしかめ、前髪をかきあげると息を吐く。兄ちゃんはやく行こうぜとイナリはサスケの前を早足に歩きだす。声はすこし弾んでいるようだった。







あれ、おまえも来たの、というカカシをイナリは見上げた。カカシはサスケを見ている。口調がなにか面倒くさそうな冷ややかさを持っているのに訝しく思った。

「おっ、イナリもいんじゃん!」
「飯になるから呼んでこいって。家でたころあとちょっとでできるって母ちゃんいってたから」
「ありがとね」

くしゃりと右目を眠い犬みたいにたわませて笑うカカシにかすかな違和感はすぐに消えてしまった。ありがとな、と笑うナルトがジュース奢ってやる、というのにイナリは笑った。久しぶりにみたナルトもサスケも大きくなっていて驚いた。体つきはまだうすいけれどカカシと頭ひとつももう違わない。

「じいちゃん、帰ろう」

呼びかけても祖父は振り返らない。とおく見晴るかす西の海の彼方には死者の魂があり、海の生き物になってかえってくるらしい。鳴門大橋を作りおえた祖父は日がな一日海の傍にいた。朝まだきの暗闇のころから一人おきだして海を見ている。遠く見ている。

「じいちゃん」

大きく声をだすとようやく耳に届いたのかタズナは振り返った。手を差し出すと、磨かれた木みたいにふしぎになめらかな手がつよく握られ、体重がかけられイナリはすこしよろついた。タズナはもう足がおぼつかないのだ。酒が入れば尚更だった。

ありがとうな、タズナが呟く。一時期、体が思うようにうごかないことにタズナは癇癪をおこしたこともあったが、いまはもうそんなこともない。イナリが手をかすときにいつもすまなそうな顔で礼をいうだけだ。背中でナルトとサスケがすこし困っているのがわかる。たしかに月日は流れた。

夕ご飯にとちゃぶ台に並んだのは笊にとりやすいよう小分けに盛られた蕎麦と薬味のためにとたっぷりすられた大根おろし、納豆、ネギ、揚げたての夏野菜の天ぷら、海老と大葉のかきあげだった。ほかに酢の物とすこし具が多めになった汁物だ。さっぱりしてるが品数は多い。

足りなかったらすぐ湯がくから言ってね、といったツナミに居候三人は頭を下げる。天ぷらはきっとカカシたちのために作られたに決まっていた。イナリはおおきくなったとはいえ、蕎麦の量があれば文句は言わないだろうし、タズナはあまり重いものを好まないだろう。食べ盛りのナルトとサスケのことを考えてくれたのだ。カカシはまさか天ぷらが嫌いとはいえないので、さりげなく箸をあまりつけないだけだった。

「そんでお前さんら、これからどうするんじゃ」
「まあ、町のほうにつてはありますんで、そっちに行きますよ」

タズナの質問にカカシが麦茶のグラスを傾けながら答える。エプロンで手を拭きながらツナミが失礼ですがどんな?というのにカカシは頭を掻いた。イナリは食べ終わり、全員分の皿をまとめると流しに入れていた。

「同業者同士のね伝手って奴です。どこの国も忍者は便利屋みたいなもんですし、同業の奴っていうのは顔が知れてます、お互い、恩を売っておいて損はないてわけです。代価は金だり情報だったりですが」

これ以上はあんまりつっこまないでくださいと笑えば、ツナミは首をふった。

「お世話ぐらいだったらうちにいてくださらないかしらって、ね、おじいちゃん。ごはんも男の方ばっかりじゃお金かかるでしょうし、うちは別に部屋ぐらいあるし」
「お前さんらにはそもそも返しきれん恩があるわけだしの」
「いえいえ、昨日とめていただいただけで十分ですよ、ご馳走になっちゃいましたし。まあ、ご存知の通り私たちもあんま、カタギっていうにはくさい商売ですからね。変な話、巻き込まれたりっていうのもありますから。ご迷惑はかかってからじゃ遅いでしょう」
「……五年前とは事情が違うというわけじゃな」

相変わらず明晰な爺さんだとカカシはパイプをふかすタズナに感心する。タズナは波の国に橋ができ、ガトーカンパニーの支配が壊れることによってひらいた風穴で外からやってきたものたちを確実に肌で感じとっているのだ。五年前は多分、カカシたちの同業者は波の国にはほとんどいなかったのだ。

どたどたと廊下を走ってくる音がしたのはそのときだった。乱暴にドアをひらいたイナリが母親を睨みつける。

「母ちゃん!オレの部屋、入るなって言っただろ!」
「なあに、うるさい」
「なんでかってに入るんだよ」
「入ってないわよ、居間が汚いからあんたが散らかした分、部屋に持っていっただけでしょう」

ぐっとつまったイナリにツナミは立ち上がり、台所に向かいながらゆっくりと一言ひとことをはっきり発音した。

「夕べ、お客さんがくるんだから片付けなさいっていったでしょ、片付けなかったのはお前よ」
「だからって……」
「あと先生が午後に来たわよ。あんた、出さなきゃいけないプリント、私に見せてないでしょう」
「先生、うちに来たの?」

イナリの問いかけに皿を洗いながらツナミが答える。台所でのひそめた小さな会話だったが、鋭いカカシやサスケ、ナルトの耳にはどうしたって聞こえてしまうのはしょうがなかった。

「わざわざきてくださったのよ。本島でのスクールでしょ、毎年行ってたし成績もよかったんでしょ。賞状ももらったりして、楽しみにしてたじゃない。プリント、テーブルに出しておきなさい。判子押してあげるから」

ツナミのセリフにカカシがひそひそとタズナに囁いた。

「あの、スクールって?」
「イナリはなあ、なんか、才能でもあるんかね、小さいころから工作とか未来の乗り物、だとか道具とか考えるのが得意でね、立派な賞とかもらってるんです。あいつも好きみたいでなあ。それでたまに、本島のほうで役所に飾られるんじゃな。そうするとな、審査委員とかの立派な先生とかがきて、いろいろ教えてくれるんでな、毎年、参加しておったんじゃが」

どこか自慢げにいったタズナにカカシはへえといって、台所にあるイナリのはだしを見る。すこし苛立たしげに、片方の足を掻いていた。

「べつに全員参加の奴じゃない」
「先生、そうは言わなかったわよ。ともかく見せてごらんなさい」

小さく反論するイナリにツナミは取り合わない。

「必要ないって、言ってる。やりたいなら俺がやるっていうまで、ほっとけばいいじゃんか」
「わざわざ先生が来たのよ、見なかったで済むわけ…ちょっと、イナリ」

踵を返して自室にもどりかけるイナリをツナミがとがめる。だがイナリはツナミをすこしきつい目で睨んだ。

「……あとで出しとくから、静かにしてよ」

母さんうるさいよ、とイナリは呟くと財布をもって玄関に向かう。どこにいくの、とツナミが言えば、飲み物、とイナリは答えた。乱暴に引き戸を開けたてする音が響く。カカシが振り向くとナルトとサスケがいなかった。

自転車でイナリは行ってしまったのか、出たときにはもうよく似た辻にまぎれてしまって、左右どちらにいったのか土地鑑のあまりない二人にはわからない。手分けしてさがそうとわかれて、見つけたのはサスケだった。

海沿いの道をいったところ、階段のそばに自転車が乗り捨ててある。たそがれの岩場がおおい浜辺にイナリの姿があった。

隣に立てば、すこし見上げてばつの悪そうな顔をした。残照が海の端にかすかにのこる程度だ。晴れた日の夕暮れは海を一瞬、ひどく美しく輝かせて消えてしまう。

「家って、うるさい。面倒だ」
「一緒に暮らす以上はしょうがないだろ」

黙り込んだイナリはしばらくして海風にまぎれてしまいそうなほど小さな声をこぼした。

「やりたいっていうまでほっといてくれればいいのに、先生もさ」
「でもやりたくないわけじゃないんだろ」
「そうだけど」

なにを迷ってるかは知らないが、とサスケは前置きをした。

「やりてえことは、やりたいうちにやれよ。そのほうがいい。自分のことを決めるのは自分だけだ」
「兄ちゃんは?」

やりたいことは、と見上げたイナリを見つめたサスケは暗がりのなかうすくひかる目を細めて、すこしだけ口元に笑みをにおわせた。つよい潮風が髪をなぶった。うごいた雲に月が一瞬翳って闇が降る。

くだらない、と笑われるかとおもったが笑われなかった。オレか、と返るサスケの声は穏やかだった。ぶっきらぼうな顔や声ほどサスケは人を突き放さない。なんとなく、ツナミがサスケくんはもてるわよ、といった気持ちがわかる気がした。

「ケイムブタイ…ここだと、なんだ、警察か?警察になりたかったな」
「警官?忍者にもあんの」
「忍者なぶんだけ始末に終えないし性質が悪いだろ。家が代々そうだったからな」
「オレだって、じいちゃんが大工だった。だから、悪くないかもって思う」

そうだな、ときこえた声はひどくやわらかかった。雲が切れた。月明かりだけの岩場を危なげなく踏んでいく、サスケがふりかえる。

「歩き出せば迷ってたのが意外にあっけないってわかったりもする。おまえぐらいならなんだってできる。どこにでも」

どこへだっていける、と静かで確かな声が聞こえた。
でも、なんでまるで他人事みたいにいうのとはきけなかった。
なんでまるで自分はどこへもいけないみたいに言うのとは聞けなかった。

















「P.S. I love you.」/TEAM7








展開はやくしたい、と思いつつ…。


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