「先生は、あいつがまたいなくなっていいのかよ」 「それはサスケがきめることだろ」 いつでも正論をいう先生を殴ってやりたい。先生がそんなことばっかりいうから、サスケは行っちまったんじゃないかとナルトは歯軋りした。逆恨みだ、わかっている。 だけれどカカシの口だけが正しいこともなんとなくわかっている。正しいことをするのと、正しいことをいうのは全然ちがう、言うだけなら誰にでもできる、とても簡単なことだ。金属の味がする唾を呑みこんだ。サスケが家族と一緒にいたときなんてたった七年じゃんか、数字で計るのは間違いかもしれない。でもそれよりずっと一緒にいた、オレらがそんなこといってどうすんだ。 「サスケの問題にオレが立ち入ることなんてできないよ」 だから、と悲鳴じみた声をあげたナルトは唇を噛んだ。そうじゃない。そうじゃないのだ。 お前の好きなようにしなさいと言うことは、とても残酷なことだ。 言うほうにとっても言われるほうにとっても。 いう先生は立ち入れない自分が歯がゆいのかもしれない。 でもいわれるオレらは見捨てられたみたいな気分になる。 だって立ち入っていい人で立ち入って欲しい人なんてこの世の中、先生しかいないのだ。 「お前のすきなようにしなさい」なんて、その言葉のなかで先生がオレらにのぞむことは何ひとつないじゃないか。先生はオレらに何も期待していない、オレらが先生のためになにもできない奴だってことを、まるでオレらのためのように言う。 そんなの、酷いじゃないか。 オレらだって先生がしてくれたみたいに先生がなにかして欲しいっていったら、仲間なんだ、絶対してやるのに。 「サスケのことじゃねえよ、関係ねえよ。きいてんのは先生のことだよ。先生は、あいつがいなくなったほうがいいのかよ」 「そんなわけないよ」 「ならそう言えばいいじゃんか」 「言ったってあいつは、復讐をやめたりしないだろ」 「ぜんぜん、関係ねえってば!」 勝っても負けてもサスケがどうおもってるかはしらなくても、ずっとずっとサスケは自分のたった三人きりの大事な仲間だ。サスケは復讐をきめてからだって何年も木の葉の里にいたし、自分たちの傍にいた。だったらなんにも変わらない。何度出ていったって帰ってくればいい、何度だってお帰りを言ってやる、ただいまも言わせてやる。 「復讐したって、なにしたって、あいつはここの、木の葉の忍びだろ。かわんねえじゃんか!オレは、オレはさ、あんまり頭よくないからうまく言えねえけど、大事なことはちゃんとわかってる。先生はいつでも何にもわるくねえよ。でもオレはいうぞ、先生のそういうのはまちがってる。先生は正論いうけど、正論なだけなんだ。そうやって、かってになんもいわねえで、想像だけで判断して決めちまうんだ」 言い募ったナルトは地面をにらみつけ、視線を幾度かおよがしつばを飲んだ。なんで、と気を抜けば昂ぶりのあまり涙がこぼれそうになってナルトは唇を噛む。 「なんであんとき、――――おっかけねかったんだよ!」 自分はずっと、ずっともうカカシのことを信じることができなかったのだ。 好意はある。偽者でも家族めいた愛情もお互いにある。なのに、あのころ一番ちかくにいただろうカカシはサスケのことをひきとめてくれなかった、引き止められなかったことを後悔しているようにも見えなかった。 (なあ) 引止めなかったことは、サスケを見限ったということじゃないのか。あきらめたということじゃないのか。サスケのことが大事じゃないってことじゃないのか。 サスケのことが大事じゃないってことは、サクラもナルトも大事じゃないってことじゃないのか。 サスケのことを見限ったカカシを許せない、カカシの愛情を信じることができない。それでも好きで、しょうがないのだ。好きなのに許せない。あの時、この国への道の上ですごい優しい声で守ってやるって言ったじゃねえかよ、仲間を大事にしないやつはクズだって、一番最初に、忍者の一番最初に教えてくれたの先生だろ。教えて、三人の背中を押したあの声。 (先生の言う、仲間ってどんなのだよ?) 好きだから許せない。 カカシはナルトをみあげ、すこしの沈黙の後、言いたかったことはそれか、といった。 顔色がしろくなる人をナルトははじめてみた。さっと色がひいた。音の波が遠ざかり、ナルトは言葉を飲み込んだ。だけれど五年間、ずっと言ってやりたくて言ってやれないことが飛び出したのを呼び水にどんどん言葉が溢れる。 「オレが怪我したとか関係なかったんだ!」 「関係なくないよ、おまえのここには穴があいてた」 カカシは右肩のしたを押さえる。ナルトは肩を揺らし、静かにないでいるカカシの眼を見た。 「少なくとも、あいつはお前を殺すつもりだった、そうだろ?」 「俺は、生きてる」 小さくしぼりだされたナルトの声に、カカシはそうだね、と軽く頷いた。 サスケがクソ兄貴をぶん殴ること、自分たちの傍にいること。 どこもなにも矛盾しない、ぜんぜん別のことじゃないか。 (だってサスケはあんとき、俺を殺さなかったんだ) 「俺は生きてる」 「結果はね。それでサスケは里を抜けた。これも結果だ。サスケはそうやって自分で自分のことをきめたんでしょ」 やや億劫そうにため息をついたカカシは、眉をよせ塩の結晶でもまつわったような睫をおろしてナルトが気が引けてしまうほど穏やかな声をだした。 「俺はおまえらの問題に立ち入らないんじゃないよ、立ち入れない」 「先生」 「だって、無理だろ」 「……」 「おれね、あのとき」 カカシは芝居がかったため息をつき、俺ねこれでも、と細く言葉を継いだ。 「あの時ちょっとは、自惚れてたんだけどね」 カカシは困ったように笑った。強がりでも虚勢でもない剥き出しのすなおな笑いだった。言ってやろうと思った台詞をぜんぶナルトは呑みこんだ。 「もう、なんもできないだろ。しょうがない」 サスケは一度、ぜんぶ捨てた。 そしてナルトもサクラも、カカシも傷ついた。 心臓の中に骨の塊りができて、鼓動がなるたび風が吹くたびにごろごろと転がって痛む、そういう傷だった。 とてもとても、傷ついたのだ。 葉ずれの音がざわざわと鳴っていた。 「復讐なんて止めろ」 仇敵の心臓を止めた瞬間に知るだろう、冥い道ゆきの果てにあるのは夜明けでも成就でもない、道なき永劫だ。ただそれだけのために牙を爪を研いだならなおさら、明けない夜に立ちすくむ。 大事にする人間も大事にしてくれる人間もいない、そんな人間をもう一人、目の前で作ってどうする。 同じ闇は深くいまだカカシの中で澱のようによどみ背後に寄りそっている。 だったら、その牙と爪を大事なものを掴んだまま守るためだけにして欲しい。 立ち止まった時も立ちすくんだ時もいつでも、守ってるつもりだったものが自分の足を心臓を動かした。碑に刻まれた名前が一つふえ二つふえしても記憶の中おだやかに笑うそれだけで、自分はまだ生きていられている。 (誰もお前を許しはしないだろうけど、責めもしないんだよ) 冷たい屍は何も言わない。罪も罰も死に人のものではなくすべて生き人のものだ。手向けの花も涙も置いていかれた生き人のためだけにある。似たような話はいくつも見てきた。だがどの話もまぎれもなく悲劇で痛みは少年の中でリアルだ。自分の傷跡が寒い雨の夜に疼くように、欠けた眼窩の虚がいつまでも埋まらないのと同じくリアルなのだ。 (運が悪いといってしまえばただそれだけの) だったら殺してやろうか、と激昂する少年を見おろしてカカシは笑った。ああ、まったく似ていて厭になる。サスケを見るたびに左眼の傷跡が疼くようだ。愚かだったことや間違ったことが別の人間になって目の前につきだされて、無様だったら誰だって、厭になるだろう? 「みんな、殺されてる」 おまえはオレみたいになりたくないだろう? しょうがないってなんだよ、とナルトは唇を噛んだ。 「しょうがねえとか、言うなよ、なんで先生がそんなん、言うんだよ」 星空を見上げる子供のような眼差しで見つめるカカシに怒鳴ったナルトは通じているのだろうかと思った。 「しょうがねえじゃ、ねえだろ。しょうがなくたってそういうの、先生がいうなよ」 「なんで、そうお前はオレにサスケのことを言うのよ」 ナルトはぐしゃりと顔をゆがめてちょっと黙った。大分唇を噛んで、ようやく目をあげる。 「…オレさ、いい加減こんな年になってガキくさくて愚痴みてえだけど、やっぱさ、サスケのことえこひいきだって思ってた。先生はおんなじ目もってるからしょうがねえってわかってたし、事情ももう知ってるしさ。でもエビスのおっさんとかエロ仙人に教わってたって、やっぱ先生にももっとイロイロ教えてもらいたかったりもした。そういうの、サクラちゃんだってあったと思う、きっと」 「……」 「あん時ってさ、だってサスケんこと一番しっててさ、なんかいえたのって先生だったじゃんか。オレとかサクラちゃんじゃうまく言えねえこともあったし、わかんねえこともあったし、ガキだったし。カカシ先生じゃなきゃできねえことだってあったんじゃねえかって、オレは思っちまう。そんでもできることとできないことっていうのはあるから、わかってんだけどさ」 わかってるけど、とナルトは俯いた。わかってるけど。 「言っちゃいけねえことっていうのは、あんだろ。先生がしょうがねえって思っても、オレの前では、できるならサスケの前とかでも言って欲しくねえよ。しょうがねえって思っても、絶対、言っちゃいけねえことだとオレは思う。だってさ、…それってひでえよ」 「ひどいって」 「ひでえよ、めちゃくちゃ。だってさ、……カカシ先生なんだぜ、カカシ先生がさ、言ったらさ、その、カカシ先生に言われたらさ、なんか、ぜんぶダメって言われてるみたいでさ、なんか、辛い」 掠れきって息にまぎれそうな声を吐き出したナルトの顎からいきなりぼたっと涙の塊りがおちた。 「誰が言っても、先生が言うなよ。関係ないさあ、なんもしらねえどいつがなにいったっていいよ。でも、でも先生だけは、そういうの言わないで、欲しい。嘘でもいいから」 嘘でもいいから言うなよ、とナルトは息を吸いこんで、今度こそ嗚咽をあげた。堪えようとしすぎて、喉がごくっと何度もなる。 「ごめ、先生だって、絶対きつかったってわかってんだ、けど、わかってんだけどさ。ごめん。オレ、みんなにさ、頼むってサクラちゃんとだって約束したのに、あんとき、止めらんなくってさ、そりゃ、帰ってきてっけどアイツ今度またいなくなっちまったらとか、追っかけるけど、追っかけるけどさ、考えちまうし。……オレさ、やっぱ七班さ、すんげ、ほんとに、好きで、やっぱさ」 「俺も好きだよ」 わかってる、とナルトは返して足元を見つめ、唇を噛んだ。 「ごめん、先生、これオレのわがままなんだ」 両手で何度も両目をこする俯いた金色の頭を見下ろす。ちっともかわらない夢と野望で一杯になった穂波の色をカカシは見て、息をほどいた。でも、とナルトが息をつぐ。 「わがままでも、なんでも、オレぜってえゆずんねえから。今度、オレ先生がしょうがねえっていったら、きっと、…きっとぶん殴る」 ボコす、と言葉だけ勇ましい尻すぼみ、悔し泣き目をあげたナルトの、涙でぐしゃぐしゃになっててもきっぱりとまっすぐな青空とおなじ色をカカシは見つめ返す。 (だから) 頭を撫でるとナルトが誤魔化されねえぞ、とカカシの脛をけとばしてくる。ちょっと痛い。 「痛いよ、ナルト」 「るっせーってば。泣いてっから、困ってるだけだろ。騙されねえってば。うんって言え。嘘でもいいっつってんだろ。言えよ」 言って、と蹴りながら言う甘え方のまるでなってない、甘え方をまるで知らない掠れた涙声にカカシは泣きそうに笑った。だから、こんなナルトでなければサスケはきっと帰ってこなかったのだ。 (ナルトには、かなわないよね) ナルトの頭をもう一度撫でる。きれいな丸い頭だった。とるにたらないほどささやかなわがままの言い方ひとつさえしらない、ナルトは掛け値なしにかわいそうな子供だと思う。わがままなんかでもないだろうに。 (なのになんで俺は言わないよっていえないんだろう) うそでもいいと、しょうもないくらいささやかなことを言っているのに答えられない、気休めですらうなずいてナルトをたちあがらせることができない。あの寒い冬の夜、廊下にしゃがみこんでサスケになにひとつ言ってやれなかった。 ちがう、言わなかった。家族がいないナルトやサスケの心の中で自分がどんな位置にいるのか、うすうす気がついていながら言わなかった。できることをしなかった。なぜ、と考えれば答えはたやすくでる。あのとき、カカシはサスケのことに関して自惚れていた。だけれどサスケはいってしまった。ありがとうとサクラにだけ言って行ってしまった。 (ああ、そうか) 自分は本当に、もうずっとサスケのことが許せていなかったのだ。 里をぬけてしまったサスケを、ナルトを殺そうとしたサスケを長い間、もうずっと許せなかったのだ。口に出しはしなかった。面とむかっていいもしなかった。ただ見つめることと見放すことは、手をださないことだけ同じだ。自分は、確かになにもしなかった。 どうしたらいいか考えろといっておきながら。 その夜、海のほとりで小さな火の手があがった。 |
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