箪笥の奥から数年ぶりにとりだした訪問着は樟脳のにおいがきつく、クリーニング店のビニールカバーとタグをはずしたツナミは日当たりのよい窓のカーテンレールにハンガーをひっかけた。重たげな原色の花房をたらす蔦がからまる白い石垣のかさなるむこう、魚の背のようにせわしなく眩く凪いだ海ははるか水平でも空と色を分かっていた。気のはやい蝉の声がとおく聞こえてくる。海にちかいこのあたりは木があまり生えない。 近場で小火があったらしいと朝食をととのえるツナミの背中にタズナがいうのに、そう、と返した。しばらく雨のすくない暑い日がつづいている。去年もゴミが自然発火したというニュースがぽつぽつと思い出したように流れていた。 おはようございます、と居間の暖簾を腕であげてでてきたサスケが頭を下げる。いつもは朗らかなナルトはすこし腫れぼったい目をこすっても口の中にこもるような声で挨拶をした。トイレから帰ってきたカカシはサスケに普段とおなじ声でおはようという。のろりと目をあげたナルトはすこし気まずそうな顔をしていたのが気になった。 夕べはすこし夜遅くにケンカでもしていたのだろうか、気になっていたのだ。 いってらっしゃい、気をつけて、と声をかけてもイナリは返事をしない。ナルトやカカシたちの言ってきますという声が返ってきた。玄関のドアがしまる音にため息をつく。イナリを送り出したからあと一時間もしないうちにすぐに出かけなければならない。 タズナに今日はでかけるからと言えばそうかと返してきた。 「なんぞ、用事か」 「郵便局と銀行、行ってこようとおもって有給とったのよ」 「そうか。たまの休みぐらい、ゆっくり休め」 「無理はしてないわよ。ご飯、作ってくから」 「ああ、助かる」 背中をまるめた父は縁側に新聞をひくと爪を切り始めた。すこし痩せている。 「ツナミ」 「なあに」 「あいつと会うのか」 ばちんと爪きりがなる音に、朝食につかった皿を片付けていた手が止まる。 「……そうよ」 「その話ならもう、十年も前に向こうの家と話はついとるだろうが。いまさら、何だって言うんじゃ」 「イナリの進学の話なのよ。私一人がどうこうすることじゃないわ。父親なんだし」 努めて平静に声をだし、もう重ね終えた茶碗を無意味にいれかえたりするのは気を紛らわせないと声が震えそうだったからだ。 「イナリには私がいうまで黙っててください」 「引き取るって、あっちはいうてるんか。何年も顔のひとつも見せんかったくせして。お前はそれでええんか」 「分からないわ。わたしだって、」 どうすればいいのかと誰かに訊きたい。床から顔をあげた父と目が合う。瞬きもせずにしばらく見つめていると、ふいとタズナは目をそらした。 「今日話して、それからイナリに話すから」 「それでええんか、お前は」 わたしが決めることじゃないもの、とツナミは返すしかできなかった。 夕飯までに帰ってこれるかがわからないため、多めにカレーを作りイナリに買い物をしておいてほしい品物を記した手紙を書いて紙幣をいれた封筒を置く。タズナあてにしなかったのは近頃もの忘れが多いためだ。釣具を置き忘れることが増えたし、以前些細な段差で足をもつれさせ転んだとき、とっさに手が出ず鎖骨をうちつけて打撲をしたこともある。大工の棟梁として健康には人一倍自信があったろうに、躓いたとき手が出なかったことがよほどこたえたらしい、数日ふさぎこんでいた。 一時、腸をわずらって手術をしてから減っていた酒量がまた増えだしたが、ナルトたちがきてから減ったし朗らかになったようにも思う。自分は仕事で家にほとんどいないうえ、イナリは学校があって父は一人きりになることが多かった。いいはしないが情の篤い父だ、寂しかったにちがいない。 ナルトたちが任務で波の国にいるというのなら、本当に下宿のように使ってもらって構わなかった。買い物の量が増えたことも、夕食がにぎやかなことも楽しかったのだ。イナリもナルトや、ふしぎとサスケにも懐いているようでたまさか笑っている顔を久しぶりに目にすれば、寂しい気もしたがやはり嬉しかった。 洗い立ての髪を梳き、鏡の前に座って化粧を始める。こんなにゆっくりと身支度をするのは久しぶりだった。唇に紅をのせてからやけに赤く見える気がしてツナミはちり紙でぬぐい、塗りなおさなかった。 目的地まではしばらくかかる。知り合いの農家のトラクターに途中までのせて貰い、ひさびさにきた町は随分と人が多かった。港の建設がはじまる来年の春には稼ぎ口を求めて諸島から人が来るからなおさらごった返すだろう。波の国では本島の学校にいったものの大半は進学し、ときに国外へも出稼ぎにでていくものがおおかったが、島にのこったものは大半が漁やサトウキビ畑や工場ではたらくものがおおい。 船があり畑がある家はいい、漁なり畑なりで一年の収穫がある。だが職人でしかないタズナは腕と工具箱一本で稼いできたからツナミの家にそんなものはない。ツナミは本島の学校にイナリを進学させるつもりだった。 (どうして、行きたがらないのかしら) 去年だってサマースクールの美術教室に通っていた。毎年会う友達がいるからと嬉しそうにしていたのも覚えている。今年にきた話は担任の話をきくにしても破格だとしか思えない。 電話できいた場所をたよりに進めば、ちいさな郵便局の傍に軽食もだすらしい珈琲舗をみつけてツナミは入る。地元の人しか利用はしないのだろう、店の奥で友人らしい女性と話をしていたエプロンをかけていた女性はいらっしゃいと呟くと適当に座ってください、どこも空いていますからと笑った。まだ相手はきていないらしい。 空腹なわけではなかったけれど外食はひさしくしていなかった。サンドイッチとアイスティを頼んだツナミは、ほつれかけてきた髪をかきあげ、椅子にふかく腰をかけると窓の外に目をやった。 海は相変わらず凪いでいる。 おまえなあ、返事ぐらいしろよ、と海沿いの道を自転車をおしてあるくイナリの隣でナルトが呟いた。バックパックを背負いなおしたイナリは気まずそうに目をそらして、サンダル履きの足を苛立たしそうに運ぶ。今日は海に泳ぎに行くらしい。 「最近、家かえって兄ちゃんたちがいないときだと、母さん、学校の話とかうるさいんだ。鬱陶しい」 呟いたイナリを見下ろしていたナルトがおまえよ、と低い声をだした。 「おまえの実の母ちゃんに対して、うるさいってなんだよ。鬱陶しいとかよ。だいたい、いくらなんでもツナミさんにあの態度はねえんじゃねえの」 「だって」 「男がだってとか言うんじゃねえよ。学校、いい話なんだろ」 「…いえるわけ、ないじゃんか」 「なんで」 イナリの隣にナルトはしゃがみこむ。 「いえるわけないってことは、ほんとは行きたいんじゃねえか。行きたいんなら、ツナミさんに言ってやればいいじゃんか。なんの問題があるんだよ。やりたいこと、やりたいってでっけえ声で言えよ」 「うるさいなあ、なんも知らないくせに」 いえるわけ、ないだろ、と語気も荒くいったイナリはナルトを睨みつけた。ナルトはだからなんでだってきいてるだろ、とイナリの肩を捕まえる。肩をつかんだ手をイナリが振り払ったことにナルトが眉をしかめるのに、サスケがナルトの腕を押さえ、カカシの声が割って入った。 「ツナミさんとか、タズナさんとかには言えないってことなのかな」 「……」 「だったら言ってみなよ。絶対、言わないって約束するから」 駄目かな、とカカシが言うのにナルトがあげた手を下ろすと、イナリは掴まれたせいでよれた襟元をなおし、足元の砂をかき回した。言わないでよ、と前置きをするのに肯く。 「……だって、じいちゃんやばいんだ、もう。もともとお酒好きだから肝臓がちょっとまずいみたいでさ、母ちゃんもそれ心配してる」 「うん、でもさ」 話をきったカカシはぱたりと本を閉じるとイナリの顔をのぞきこんだ。目があったことにイナリはちょっと驚いて、座りなおす。 「それって外の問題だよね。イナリ君の進学に関係はないんじゃないの?」 「……うちって、じいちゃんがさ、あの橋つくったじゃんか。みんな全部、あれにつぎこんじゃってさ、あんまり余裕があるわけじゃないし。今だって母ちゃん、パートしてんのに。でもオレがしたいって我がままいったら、してくれると思う、きっと」 「じゃあ何に悩むの」 「爺ちゃんと母ちゃんが二人きりになる」 ぽつりと呟いた言葉にイナリは、ちがくて、そうじゃなくて、ともどかしそうに言葉をつむいだ。 「二年前なんだけどさ、じいちゃん、入院してさ小腸切ったんだ。なんかそんときは、普通になんでもないって母ちゃんいってたんだけどさ、ほんとはちがくてさ」 たぶん、ガンだって思うんだけど、とイナリは言って砂をにぎった。 「じいちゃん、そのころ家のなかでも帽子かぶってたんだ、ずっと。髪の毛って薬の副作用でぬけるでしょ。俺、鈍くて、あれって思って気づいたの最近でそうなのかなって。それ、なんで母さんがさ、俺に黙ってたのかなとか思うし、きけないし。ガキだから、ショック大きいから秘密にしておこうって思ってくれたってわかんだけどさ。なんかそこまでガキなんかなとか思うと、またなんかあっても俺だけ知らないままなんて、やだし」 「それ、お母さんに言った?」 「言ってない」 「言わないと、イナリくんがそういうふうに悩んでたってわかってくんないよ」 オレは他人だし、どこまで言っていいかわからないけど、としばらく考えていたカカシは前置きをした。 「あのね、選択肢っていうのは無限にあるわけじゃないんだよ、やっぱり。自分じゃどうしようもないことっていうのも沢山あって、負けるもんか負けるもんかって思っても辛くて泣きたくなって、しゃがむしかできないこともあるんだよ。だからね、自分に選択ができるっていうのは、大事にしなきゃいけないんだよ」 「……」 「いい子だよね、イナリくんは」 イナリの肩がわずかに震えた。いっぱいに目を見開いた眦にに涙の雫があふれそうになっている。 「お母さんのこととかタズナさんのことでたくさん、考えたんだろ。わがままなんかじゃないよ。イナリくんのことは、イナリくんだけのことじゃなくてさ、家族の問題でしょ。ならちゃんと言ってごらん」 「……うん」 「無理するかもって心配するのもわかる。でも絶対に頑張るからっていってあげればいいんだよ、お母さんはそうやってずっと待ってる。どんなに喧嘩してもね、お母さんのいうことなんて全部イナリくんのためだよ。そんなの、わかるでしょ?」 「……」 「わかるから辛いのかね。でも信じてあげな。イナリくんのはぜんぜん、わがままじゃないよ、大丈夫だよ」 大丈夫、とカカシは震えるイナリの肩をちょっと叩いた。 「何年かたって後悔したときに、お母さんだとかタズナさんのせいにしないんだったらなんだっていいんだよ」 「そんなの」 そんなことするわけないだろ、とイナリが掠れた声で怒るのにうなずく。 負けるもんか負けるもんかと思ってもどうしようもなく辛くって、きっと泣きたくなって、でもしゃがむこともできないまま何度も立ち上がる背中を思った。引きずったままでいればいつか動けなくなるほどの痛みだとわかっていても、止まることそのことがまるで心臓を止めるのと同じなんだというように立ち上がる。 (頑張らなくたっていいんだよ、ほんとは) どうせ、イタチを殺したら手ひどく傷ついて、またいつかの寒い夜のように独りきりで泣くんだろう。予想ではない、確信だ。夜の底できっと誰も届かないところで泣く。誰も触れないし、誰にも触らせようとしない、誰も助けられないところで、たった一人で泣く。 (だからやめてしまえばいいのに) ちいさな生きものの熱が掌のなかで潤びて、なき咽ぶ呼び声のようにちいさい星みたいにまたたいて鼓動をくりかえしている。簡単に消えて逃げていく熱だ。小さな熱の消し方ばかり自分は習ってきたから、手の中は何も残らないで空っぽのまま、いつのまにか森の片隅の碑に刻まれてしまって世界はたやすく冷える。 「……だ、大丈夫かな」 「大丈夫だよ。どんなこといったって最後にはね、幸せにって言ってくれるよ、絶対」 囁く声は自分でも驚くほど、うそさむいほどにやさしかった。幸せに。ほんとうに祈るのはそれだけだ。イナリの頭を撫でれば、ひどくいじましい熱はカカシの指先をすこしだけあたためた。 「大丈夫だよ」 イナリ相手なら、いくらだって優しい声がでた。やさしいことが言えた。 (なのにどうして俺は、サスケに言ってあげられなかったんだろう) 許せなかったからだ。 里抜けをしたサスケを?違う、あのときはナルトとぶつかりあってサクラにとめられかけていた日、自分が最後にサスケと話した日だ。里抜けをする前のサスケと話せた最後の日だった。 けれど里抜けが許せなかったのではなかったら、自分はサスケの何が許せなかったというのだろう。 いきなりずずっと鼻をすすりあげる音にカカシは驚いて横をみた。ナルトはぐしぐしと目頭を擦り、それから鼻の下を手の甲で押さえた。つぶった目頭からあふれた涙が鼻の横をとおり、ナルトの手で雫をむすんで落ちていく。 「あーやっべ、悪い」 手のひらで乱暴に顔をこするナルトに驚いていたイナリは、歯をくいしばったかとおもうと顔をくしゃつかせて掠れた声をだした。 「なんで、ナルトの兄ちゃんが泣くんだよ」 「だってさあ、イナリ、たった、十二じゃんか。オレ、昔お前に甘ったれるなとかいったけどよ、それなのにさ、あんなさ、じいちゃんとかツナミさんこととか考えて、なんも言わないで我慢してて、そりゃ、態度は悪いかもしんねえけどさ、すげえなあって。えらいなあって」 だって、お前まだたったの十二なんだぜ、とナルトはもう一度呟いた。 「お前みたいなさ、いい奴が不幸になったら世の中嘘だよなあって、俺おもうってばよ」 ちきしょ、とティッシュで鼻をかんだナルトがもういちど鼻をすすりあげるのにカカシはぼんやりとイナリの背中をみる。骨ばかりのびてまだ筋肉がおいつかない細い手足、手のひらと足だけがおおきいぶかっこうな少年の体。ひ、と掠れた息が嗚咽に変わるのはすぐだった。うつむいた頭がちいさく震えている。 その横に立つサスケは何も言わず、遠く海を見ていた。骨においついた筋肉はいまだに細さが目立つけれどもだんだんと厚みを増し、丸みをうしなって削げわずかに精悍さをおびだした頬から顎の線、もの言わぬ獣のように落ち着いた横顔をしていた。けれど十二歳のときはどんな横顔だったのか、はっきりとは思い出せない。 (『まだたったの十二』) 最後に十二歳のサスケに会ったあの日、ただの一言も、木の幹に縛りつけられたサスケに優しいことを言えなかった。不幸自慢をしただけだった。大事な人間が誰もいないなんて自慢の種にもなりはしない惨めなことを言っただけだった。 (なんでオレは言えなかったんだろう) (なんで、たかが十二のガキに、優しい言葉を言えなかったんだろう) オレもお前も運がないほうだけど最悪でもない、なんて、生々しく痛みにのた打ち回る人間にとってなんの救いにもなりはしない言葉しかいえなかった。自分より不幸な人間がいるからなんてことが、苦しさや痛みになんの助けになるだろう。正論はいつだって正しいけれど優しいわけではないし、救いになるとは限らない。自分より不幸な人間がいようがいまいが、痛いものは痛いし、苦しいものは苦しいのだ。よく解っていたし知っていた。 サスケは不幸でかわいそうな子供だと思う。けれどサスケだけが不幸でかわいそうな子供なわけではない。両親の顔もしらず里の人間に疎まれたナルトは哀れだ、自分もまた父親をうしなった。 (そんなことで?) 頭をなでていた手から面映そうにはなれるイナリを見る。泣き腫らした目は赤くなって痛々しい。子供の泣き顔は条件反射で胸が詰まる。どんな子供でも子供が不幸せなのはとてもいたたまれないと思うようになったのは、大人になってからだ。老人の死がニュースでとりあげられても子供が殺されたときに感じる怒りは起きない。 (なんで) サスケだけがかわいそうな子供ではないから、なんてつまらない理由で?つまらない理由で。ばかみたいにみじめで些細な、けれどどうしようもない理由で、たった十二歳の子供にやさしいことを何一つできなかった。何一つしようとしなかった。 甘えるなと憤りがあったのかもしれない。忍たるものが、と思っていたのかもしれない。贔屓目にではなく、上忍として一番ふかくかかわり、諭すことができる人間だとという自負もあったのかもしれない。 (それでも、たかが、たった十二の子供に) 終末の谷で心臓に間近いところの服がやぶけ、意識を失っていたナルトを見たとき、負ぶった背中から噛殺したナルトの嗚咽が聞こえたとき、腫れてはいなくとも目をあかくしたサクラと会ったとき、たしかな悲しみと憤りがあったが、後悔はしようがなかった。サスケと最後にあった日は急ぎの任務の呼び出しがあった。時間をかけることもできなかった。三代目を失ってゆれる里が任務をうけないわけにはいかなかった。上忍としての自負も責任も十分すぎるほどにあった。限られた時間でできるだけの言葉をサスケに言った、だから後悔はなかった。 なによりサスケの意志がかたかった。 正当にすぎる理由といい訳が十分すぎるほどにあった。しょうがないことがたくさんあった。 (しょうがない) 言うなとナルトは言った。だってカカシ先生なんだぜ、とナルトは泣いた。泣いて、しょうがないって嘘でも言うなと怒った。なんだってそう、人のことに鼻をつっこむんですかと問いかけたカカシにイルカは、ただできるだけのことをしてやったらどうかと、だってそれしかできないじゃないですか、と怒った。 (俺はしょうもないくらいになにもできなかった、けれど) 親を亡くしたって親友を亡くしたって仲間を亡くしたって師父を亡くしたって、カカシがかわいそうな子供であったとしても関係はない、カカシがサスケに優しくしない理由なんてどこにもなかった。優しくする理由だってないかもしれない、けれど家族がいない子供なら尚更、下忍でつくる班が家族みたいな位置になってしまうことだって、ちゃんと知っていた。 知っていたのになにも言わなかった。復讐なんてやめておけ、と言っただけだった。どうしたらいいか考えろといったただけだった。かつての自分もナルトもサスケも自立した子供だった。自立せざるをえない子供だった。だがもう自分は子供ではなかった。親も親戚もたった一人の兄に殺され強くなりたいとただひたすら願っていた、手足も細い子供に、一番深くかかわり諭すことができる人間だと自分で思っていたくせに、優しい言葉のひとつもかけられなかった。 (俺は) できるだけのことですらしなかった。してやらなかった。してやらなかったくせに、里抜けという裏切りを許せもしなかった。 (……バカか俺は) もう俺いくから、と顔をぬぐったイナリが言うのに、道を分かれる。自転車に懸命にまたがってペダルを踏み抜き遠ざかる背中は驚くほど小さい。子供とは小さい生き物なのだった。 いまさらな後悔がカカシの背骨を手ひどく噛む。いい訳のあとに後悔ばかりをしている。猫背がひどくなる。南中高度が里よりはるかに高い太陽はひどく眩しく眼を灼き、瞬きのたびに閃く束の間の闇の暗さといったらなかった。 カカシ上忍、と聞こえた声に振り向く。 波の国の傀儡衆の束ね、アジロが立っていた。 |
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