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「010:バイオリズム」































水音に目が醒めた。



水面の揺らぎが窓から天井に映りこみ揺らめいている。よせる潮騒の絶え間ない音は夜の沈黙になお冴えて、波の国に訪れてから数日、がんらい眠りの浅いサスケをなやませたが昏睡となれば話はべつだ。急所をことごとく外されたとはいえ、重傷には違いなく、傷が原因の熱でしばらく意識不明をさまよい、熱がひいた後も疲弊した体は否応なく谷底まで落ちこむような眠りと夢の間あわいを浮きつ沈みつした。

だから目が醒めた、とは言っても、夜更の底でぽかりと眼を開いた、その程度のことだった。相当な無理をすれば動けるだろうが、傷がひらくに違いない。隣から規則正しいサクラの寝息。視線一つ動かすのも億劫だった。

タズナか、ツナミか、台所の流しに水が流れる音だ。ひりつくような喉の渇きを覚えて、かさついた唇の端を舐めた。蛇口を捻る音がした、だが不思議と気配を感じないのに気がついた。カカシだろう。床がきしむ音、松葉杖の先が床板に当たるかすかな、だが音以外の気配だけは完璧にない。音の輪郭だけを捉えている。ちぐはぐで変な感じだ。

天井を踊る水の影に自分がゆれるような感覚が体を浸した。なんだか酔いそうだ。渇いた喉を唾液で潤して、目を閉じた。きしり、と臥所の足元で床が鳴る。目を開けば、やはりカカシがいた。

ガラス製の満たされた水差しが枕もとにおかれた。カカシはどことなしに茫洋とした目つきで、夜から抜け出してきたばかりのような輪郭が希薄な感じだった。気配がないのに姿がある、幻術だと言われても頷けそうだ。瞬きもせずに見つめていると、ふいとカカシは戸口のほうを向く。口元にカカシが人差し指を当て、目元を和ませる。沈黙を求める仕草、だが眼差しは自分に向けられたものではない。

カカシはサスケの布団の端を数度叩くと立ち上がり、あてがわれたベッドにもぐりこんだ。

部屋の戸口に、いつもの姿からは想像もできない、息を潜めるような気配がある。足音はない。ただ四肢をちぢこめ呼吸を潜ませる、必死な頑なさがあった。そんな緊張した気配の隠し方では目を閉じたってわかる。

(ガキはとっとと寝ろ、ウスラトンカチ)













花降る夜に

 












夜が短い。



樹皮につきたった手裏剣を引き抜きながら、サスケは演習場に伸びる影が長くなっているのに気がついた。首筋に浮いた汗を撫でる風も冷たくゆるやかになって、夕凪が近い。日が落ちるまでが長くなってきている。

視線も投げずに声をかけた。

「おい。閉まるぞ」
「わかってるってばよ……ぅわっ!」

ざん、と枝を揺らしてナルトが着地した。とおもったら濡れた落ち葉を踏んで滑りかけ、奇声を上げた。一瞥して鼻で笑うと、面白いように反応が返ってくる。ひとつの行動に、反応が二個も三個も返ってくるというのはなかなか楽しい。顔にも態度にも出やしないが。

教師から借りた鍵をポケットから取り出していると、ナルトが横に並んだ。がしゃりとフェンスを掴んで上を仰いでいる。あ〜、春だな。ナルトが呟いた。つられて空を見上げれば、東に桜雲はおぼろにかすみ、しろい月輪があおい黄昏に浮かんでいる。






サンダルを脱ぐのもそこそこ、アパートに帰り着いたサスケは洗面所兼トイレ兼風呂場に向かう。バスタブを軽く水で流し湯を張りだすと、戸棚からタオルを出してサンダルも脱いでいない客に放り投げた。

「さき使って来い」
「おう」

二箇所で使っているため水圧が下がっている。ちょぼつく水流に苛つきながら朝から流しに突っ込み放しだった皿を洗い終える。手を拭おうとしてタオルがないのに気がつき、断りもなしにユニットバスのドアを開けた。ただ単に、他人の存在を失念していたとも言える。

「……」

もうもうとした湯気の中でサスケは顔をしかめた。手どころの話ではない。シャツを濡らし、前髪から雫を落としてサスケは沈黙する。すっぽんぽんのナルトは数度瞬きをしてから、大声で笑う。はだしの足裏をシャワーが濡らしていく。

「いきなり開けんのがいけねーんだぞ」
「……ちっせー」

意趣返しにぼそりと呟くと、案のじょう単細胞はタオルで前を隠し、むきいと叫んだ。フン、と鼻で笑って濡れたシャツを脱ぎながら、顔をしかめた。

ユニットバスだから仕方ないが、ここまで大胆に濡らされると渇くまでに時間がかかる。ただでさえ窓がないところに造ってあるから通気性は最悪で、カビが生えやすいのだ。通気性の悪いところでのカビ掃除ほど嫌なものはない。

だが後の祭りだ。そこまで考えて気がついた。泥が跳ねて汚れたハーフパンツも脱いでかごに突っ込む。

「おい」
「んー?」
「手、あんまりお湯かけんなよ」
「でももう痛くねえ」
「つーか、テーピング外せ。きたねえ」

もう体も頭も洗い終わったのか、バスタブにつかってタオルで水風船を作り遊んでいたナルトは意外そうに顔をあげた。治りが遅くなるぞ、というとナルトはなんだか厭そうに濡れてしまった左手首のテーピングを剥がし始めた。

だが濡れたせいなのか、ナルトがただ単にぶきっちょなのか、なかなか取れない。しまいには捻って腫れているにもかかわらず、ぐいぐい引っ張り出すのが見ていてまだるっこしい。アホが、と短く舌打ちしたサスケは、散髪用の鋏をとりだすと、ゴムテープを手首から手のひらまで一気に切った。数日前にあれほどひどかった赤紫の内出血はない。

ふいと影が落ちたことに目を上げると、キスをされる。何でこいつがこんなことしてくるかはわからない。一度目は不幸な事故で、二度目はナルトにサスケが怪我をさせた日で、ナルトからだった。殴り飛ばすと痛ぇ、と一言呟いただけだった。三度目もドサクサ紛れみたいな奴で、あっけに取られているとナルトは笑った。それから何度かして、オレが首に手をまわすと急に体を離した。それから笑った。

顔を離したナルトが鶏を捕まえて満腹になった狐みたいな面をしている。

「へへ」
「……なんだ」
「サスケもたいしたことねーなって思ってよ」

視線をたどって、殴った。






目の前で包帯を巻きなおしていくのを見ている。もう痛くねえ、といってもサスケは念のためだと云った。

「平気だぜ?」
「癖になる」
「くせ?」
「きちんと治さないと何度も同じところを怪我する」
「マジ?」
「……らしい」

眉をしかめながらサスケはわずかに首をかしげた。眉をしかめて口をへの字にする、ただのしかめ面にもたくさんの種類があるもんだ、とナルトはいささか失礼なことだが正直に感心する。

痛くはないのだ。もう腫れもひいているし、あれほどひどかった内出血もない。というか、一日目の夜にすこし痛んだぐらいで、もう何ともないのだ。だがナルトは黙っている。

湿布薬の薄荷のにおいは好きだったし、ひんやりした感触も悪くない。包帯の怪我を見るとイルカ先生がどうかしたのかと言ってくれた。サクラちゃんも怪我するなんてと眉をしかめて、カカシ先生は気をつけるようにな、と言った。こそばゆい。ジャキリと鋏が鳴って、湿布薬が落ちた。

「いいかげんてめえで覚えろ」
「わかんねえってばよ」

舌打ちしながら包帯を巻く手は止まらない。それを知った。

なんだかサスケの髪の毛は面白い跳ね方をしていると思ったら、旋毛が前と後ろ、二つあった。そんなことを最近知った。俯かないとわからない。濡れた黒髪の先に雫を結ぶ。ぱたりと足の甲に落ちたのが冷たかった。殴り合いからけっきょく二人して風呂に入ることになり、洗面所は水浸しになった。ぎゃあぎゃあいいながら後始末をしたせいで体が冷えている。鳥肌が立っている。サスケがまく包帯のところだけがほわりと暖かい。でも寒いな、と思ったらサスケがくしゃみをした。

どこかから風が入ってくる。冴えた夜のにおいだ。首をめぐらすと、やたら年季の入ったベッドのそばにある窓際のカーテンがゆれていた。立ち上がったサスケがカーテンをまくって、それから屈みこんだ。なんだろうと思ってナルトもそばに行く。

窓のそと、青い闇を落とす夜の向うに浮かび上がるしろい花明かり。春だなとサスケが呟いた。





腹が痛くてナルトは目が醒めた。冷えているんじゃない。熱をもって疼いている。

借り物のTシャツをはぐって腹を覗き込む勇気はなかった。月明かりの夜には変な模様が浮かび上がる。誰にも云ったことはない。

ぼんやりとした夜の薄明かりが窓から差し込み、サスケの瞼を白く照らしていた。思わず手のひらを近づけて呼吸を確かめる。湿った空気が手のひらをすこし温めすこし冷やす、そのことにナルトは安堵した。

どこかにあるはずの時計がカチカチと鳴っていた。東の空がわずかに明るい気がするのは気のせいだろうか。







あの海辺の国の夜は暗く深くとても長かったのだ。











サスケの臥所、その足元にしゃがみこんだナルトは何時までたっても動かなかった。

何ができるわけでもなく、サスケの眠りを妨げることをできるはずもなく、だが目は冴えていて、風笛のように鳴るサスケの呼吸音を必死で拾いあげていた。

潮騒がうるさくて音が聞こえない。

ただ気遣うような空気がサスケの顔や傷のあたりを、水面の光のように揺らめいて撫でていく。波音の合間に降り積む無言の空気に堪えかねて動いたのはサスケのほうだった。目をあけて首をかすかに枕から持ち上げる。

ナルトの肩が竦められた。見咎められた子供の反応そのままだった。何故かそれに苛立つ。黒いタンクトップから剥き出しの腕が、わずかに自分より幼い。暖かな国とはいえ夜は夜で涼しい。鳥肌が立っている。

額当てをはずした金色の髪は意外に長く、俯いた顔からはどんな顔をしているか窺い知れない。普段むだに騒ぎまくっている。あれだけレベル違いの奴に昂然と向かって、額当てをつかんで言い放った奴が、項垂れている。

バカが、と思った。

起きてたのかよ、と放り投げるような口調の、そのくせ気弱が透けた声が投げられた。舌打ちする。こいつに心配される筋合いはない。てめえのためじゃない。自分のせいだ。

名前を呼ぼうとして、声が出ず、かすれた息だけが漏れた。ナルトがはっと顔をこわばらせ、眉根をしかめたサスケを覗き込むのに視線だけで水差しを示す。察したナルトは四苦八苦しながら吸い口に水をうつし、口元にあてがった。なまぬるく喉を通る水は配管の錆くさいものだったが、渇きは癒される。息をつくとナルトがもう一度吸い口をくちびるに押し当てる。いらないと言うと、居心地悪そうにナルトは膝を抱えた。やはり黙ったまま立ち上がる気配はない。いちばん厄介な奴らが去ったとはいえ、まだ任務は終わっていない。

「もう寝ろ」
「……」

無言のままナルトは自分の布団にもぐりこんだ。ふう、と息を吐いて力を抜く。そこで初めて自分は緊張していたのだと気がついた。静まりかえった夜の遠くからわきあがる潮騒が聞こえるが、最初ほどわずらわしく感じない。

まだ夜明けは遠い。












水音に目が醒めた。

夢の合間から浮上した意識が傍らの気配がないのを認め、サスケは目をあけた。いつもとなんら変わりない、ひび割れの入ったぼろアパートの天井、窓から入る夜明かりに天井から下がった電球の影がゆらゆらと揺れている。

いない。なんで。

錆びた蝶番のきしむ音と明かりが漏れて、ナルトがトイレから出てきたらしい。起き上がろうとしていたサスケは体の力を抜き、目を閉じると、ベッドの隣に体重がかかる音がした。

「サスケ、」

転がった声は、未熟で高い声とは裏腹に重く、サスケの背中にまっすぐ当たった。サスケは動かない。ナルトはふしぎとサスケが寝ていると疑いもしないしっかりした声をだした。

「なあ、サスケ」
「……なんだ」
「もう、痛くねえってばよ」
「そうか」

サスケは目を閉じた。背中の向うでナルトが寝返りを打つ気配がした。








「おい」








包帯は洗って返せとちいさく呟くと、ナルトがまた寝返りを打つのがわかった。








花降る夜に/ナルトサスケ









ナルサス連作1.5。回想。二人のみち。
「バイオリズム」→「月面着陸」
時間軸で二つの補足的なのが「花降る夜に」。

「010:バイオリズム」→「花降る夜に」→「月面着陸」









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