いまは見えないけどきっと雨過天青、冗談をさらに冗談で上塗りしたみたいな夜空にはいちめんの星ぼし、台風が過ぎたばかりだから曇りなんてまったくない。降っては湧く虫の声の後ろ、どんどんとオレの頭を胸を叩いているのは心臓の鼓動だ。いやちがう、理性のドアをノックしてる音だ。 そりゃあ、忍はいついかなるときも竹のようにしなやかに柔軟にして強く、どれだけ揺れてもいずれ落ち着く水のような心をもってというのは小さいとき、忍者になると決めたときに父親に叩き込まれたもんだ。 だけども忍者である前にオレはひとりの人間だった。ひとりの恋する男だった。恋に時間は関係あるのか? 関係があるだろうし、ないとも思う。だって好きな人といるだけで時間が三倍ぐらい早回しになったりおそ回しになったりする。それに比例してこの心臓も好きだ好きだ大好きだとオレの体の中で時計を早回しに叫ぶんだ。人生の中で呼吸する数がきまってるんだったら今オレはどんな速さで恋のなか呼吸をしてるんだろう。オレは恋に落ちるたびにそう思う。 ジーザスクライスト、ああもうどうにかしてとオレはだれかにお願いしたい。 焦らずいこう 「うん、だからね、選択肢三つあげるから」 三本指を立て、ゆっくり瞬く三色の眼を覗き込んでいく。ずぶ濡れの顔が強ばっているあたりオレって人間が読めてきたらしい、いい傾向だ。素直な子供は好きなほうだ。犬相手に大事なのは立場をはっきりさせてやること、犬と一緒にされてるなんて聞いたら鼻の穴まで大きくして怒りそうだけどまあ仕方がない。額宛で隠れた左眼もにっこりさせて笑えば、ますます胡乱気にこどもたちの顔がしかめられた。うん、やっぱりよくわかってる。 「一、忍者やめてもいいから。二、オレのことなめてるから、三、お前らの頭が救いようのないバカだから。どれ?」 「……その三択間違ってると思うってばよ」 「なに選んだって角が立つじゃない…」 「……」 よくわかってるじゃないか。だがしかし世間は白黒で全部片付くもんじゃないってことをいい加減まなんだ方が先生いいと思うんだ。 「なんで依頼人に迷惑をかけたおまえらの角が立たない答えを、わざわざオレが用意してやんなきゃいけないのよ、さ、どれ?」 わざわざのところを強調すると、自分達の非は認めてるんだろう、三人の子供はぐうっと押し黙る。そう、オレがすきなのは肝心なところで素直な子供だ。 「じゃあオレが決めようか。まず一?」 「んなわけねーってばよ!」 「ナルト」 サクラが頭のてっぺんから湯気をだしそうなナルトの袖をひっぱり、サスケもナルトを見る。三人でぼそぼそと話し合ったかと思うと手を上げたのはナルトだった。 「なに?」 「三!」 「なにが」 「オレらが…」 「オレ達がちゃんと話を聞いてなかったのが悪い」 「依頼人のとこにはこれから謝りに行ってきます」 言いよどんだナルトの後をサスケとサクラがそれぞれ引き継いで三人そろってオレの顔を見てくる。 「だから先生おねがい、つきあって」 子供たちにお願いされしょうがないなあと言いながら笑う、オレはめろめろだった。 簡素なトタンで覆われた壁とビニール製のカーテン、砂に直接ささったシャワー用の蛇口、青いプラスチックのスノコは夏限定、海の家のシャワーだ。デッキブラシがガシガシ動いているのを見ると、なんでだろう、昔よまされた「むしばとんでけのけ」という絵本を思い出す。ばいきん君をやっつけるはぶらし隊はこんなデッキブラシを持って、画面いっぱいの歯を磨いていたのだった。 けっこうこのはぶらし隊がばいきん君相手にはえげつなく容赦がなかった。デッキブラシをもって多勢に無勢のばいきん君をおいかけまわし、ぼこぼこにして縛り上げ、ごめんなさいと泣かしていたのだ。こどもにわかりやすくするためだとはわかっていても、ばいきん君がふみつけられてバンザーイバンザーイという場面がほのぼのする絵柄なだけに大人になってから見かけてなんだかなあと笑った記憶がある。 (暑いなあ) 裸電球に虫が寄り付きだし、手元ももうすっかり暗い。いつも読んで何ページ目にいいとこが来るのかも指が覚えてしまった愛読書をたたんで遠くに眼をやればもう黄昏の紫になった海が見えた。ひっくりかえって重なった花茣蓙に背中をもたれさせて眼をすこし瞑れば汐のにおいがしみこんで砂にざらつく風、夕凪が終わりもう夜になる。 デッキブラシを五分ぐらい無言で動かしていると大抵たえきれなくなるのはおなじみ意外性ナンバーワン、いろんな意味でオレが命名した里一番のドタバタ小僧だ。 「スイトン水龍弾!」 さけんだナルトがカランをぐりぐりっと回したかと思うと蛇口の先を親指で思い切り押さえつけた。勢いよくとんだ水流がサスケの顔面に命中したのをみて思わず本の影で吹き出してしまう。 「へっへへへへ!だっせーの!」 濡れた前髪をうざそうに後ろに流したサスケは一度オレを睨んでから、ナルトにゆっくり視線を流すと、びしょぬれになったTシャツをがばりと勢いよく脱いだ。なにすんのよ、ナルト、と怒鳴ってきつくなってたサクラの眼がスロットマシーンよろしくガシャガシャガチーンとハートマークにすりかわる。サクラのこういうとこ、ほんとうに正直でオレは好きなんだよなあ。 (あ、日焼け) ここ何日か外での任務が続いたせいもあった。衿ぐりのあいたシャツだから、鎖骨から胸にかけてのなだらかなところと首の後ろあたりだけがすこしだけ小麦色になっている。焼けても赤くなって黒くはならない体質なんだろう、ナルトにくらべるとワントーン、サスケのほうが肌の色が明るい。 じっと無表情にみてくるサスケに悪戯をしかけておきながらいたたまれなくなったのか、ナルトがじりじりと後ずさる。 「……な、なんだよ」 「ウスラトンカチ。つまんねーことやってねえでとっとと手を動かせ」 「……言われなくてもきっちりしっかりやるってばよ!」 むきっと蒼い眼をつりあげてナルトがデッキブラシをかかえてシャワースペースの奥へとざかざか歩いていく。なんだか妙だとおもって思わずサクラを見ると、サクラもサスケの態度が妙に大人だったことが気になったのか、そろりと視線があった。 「やれるもんならな」 むず、とサスケの手が石鹸をひっつかんだかと思えばナルトが今まさに踏み出そうとした足の下にすべりこむ。さすが自己紹介がオレは復讐者。「おぅぁっ」と奇声をあげたナルトが飛びすさればもう一弾。今度こそタイルにすっころんだナルトにやっぱりとため息をついたオレだ。サクラもちょっと呆気に取られていた。 「てめッ、サスケェ!きたねえぞ!」 「てめえ相手に汚いも汚くねえもあるか、ドベ」 はき捨てる口調と楽しそうに歪んだ口元、そびやかした顎といい見下すような視線といいなんて厭味なんだろうとしばしば感動してしまう。案の定、細い血管を三本くらいぶちぶち切ったナルトが臨戦体勢にはいる。と、ほうっと斜め下からため息がきこえて見下ろせばデッキブラシを抱きしめたサクラのおでこが桃色だ。 「……サスケくんかっこいい…」 おいおいおい。 この調子でこいつらがシャワーをぶっ壊したのが数時間前なんですけど。 時間外の労働に自業自得とはいえ付き合ってくれた依頼人の前、整列した三人が声をそろえてすみませんでした、と謝っている。なんのかんのいって素直ないい子達だなあとオレはのんびり思いながら、堤防から見下ろしていた。 (にしてもちょっと意外) 情けないことだが、あの三択を持ち出したとき、二の「オレをなめてるから」を選択されるんじゃないかと冷や冷やしていたのだった。だけど自分の非を認めるだけ成長していた教え子たちにちょっと嬉しくなるオレは不謹慎にちがいない、依頼人に迷惑をかけてるのに嬉しいっていうのはちょっとだめだろ許されないだろ。それになによりこんな話はガイが喜びそうでそれもちょっと厭かもしれない。でもマスクの下で顔がにやつく。 (ああもう、なんかだめだー) ちょっと我慢ができない。 サクラとナルトと別れた途端、歩調をゆるめたオレの隣にサスケが並ぶ。なんとなく笑うとぼそりと声がした。 「……気味悪いぞ」 言うと思った、と見あげてくる黒い瞳を見下ろしながらオレはちょっと笑って手をのばす。潮風でばさついた髪は指どおりが悪くてひっかかってしまったらしく、サスケは盛大に眉をしかめた。 「さわんな」 「うん」 「だから、撫でんなよ。ほんと人の話ってもんをきかねえなアンタは」 「まあいい子いい子ぐらいさせてよ」 身長伸びたね、と言えばそうか、と尋ねてくる顔が無表情を装っておきながら嬉しそうなのを見逃さない。掌にじんわり感じる太陽の名残みたいなサスケの体温が好もしい。 「つーかいい子ってなんだ」 「いやこっちの話」 なんだよ、と形のいい眉をまた顰めたサスケが幾度か瞬きをして考え込むように睫を伏せる。指を伸ばして触りたいなあ、怒られるだろうけどと思いながらポケットに入れた右手を開閉させていると、合点がいったようにサスケが呟いた。 「ああ、あれか」 「ん?」 「あの昼間のえげつない三択だろ。……なんだ、あんた意外と単純だな」 フン、と鼻を鳴らして笑ったサスケの皮肉な口調といったらなかった。これを毎回毎回食らわせられてるナルトが挑発にのってしまうのもしょうがない。こどもがとても素直でかわいいなんて嘘八百の信仰を信じてたのかオレは、昔の自分を振りかえれば耳が痛いどころの話しじゃない、棚上げしてるなんてどこのアホだ、バカかオレは。 くそう、オレの純情を返せ。 「どうせアンタのことだ、二を選んでたら砂浜タイヤ引きダッシュとかさせるつもりだったろ」 「……よくわかったね」 「まあな」 あんたの場合、行動みりゃいいんだ、とサスケがまるでどこか自慢のように言う。白い歯をほんのすこしだけ咲かせるよう、ちょっと不器用な顰め面で笑うのにオレの恋する心はあっさり飛びはねた。 オレの純情はまったく安い。 あーなんかもう、オレはもう完膚なきまでにめろめろだ。子供たちに半分見透かされてうれしがらせで誤魔化されたんじゃないかなんてどうでもいい、あいつらがちゃんとひとりの忍として責任をとって謝ったんだから終わりよければ全てよし、同じ失敗をしたときに今度こそ砂浜ダッシュニ十本させればいい。調子いいことこのうえないないけれど、幸せなんだからまあいいじゃないかと思ってしまう、オレはやっぱり教師としてはだめかもしれなかった。明日の砂浜ダッシュ十本は決定事項だけれど。 (……好きなんだよなあ) いい大人なのになんでこんな心臓に羽でも生えて口から飛び出そうな気持ちになるんだろう。時計の針がおかしくなったみたいに時間が早回しにおそ回しになる。サスケの仕草をみつめてるとはおそ回しなのに、サスケと居る時間は早回しだ。 襟首をちょっとひっぱるとなんだよと上を見てくる。顔を傾けると意図に気づいたらしいサスケの右手がオレのマスクにばしんと押し付けられた。 「よせよ、すんなっつったろ」 「でもオレあん時の返事訊いてないよ」 「あ?」 しないなんて言ってもないし、と屁理屈をこねようかと思ったけどやめた。口元を押さえるサスケの手がしめってあたたかい、小さい生き物の体温だ。思わず掴まえると何しやがると脛を蹴り飛ばされそうになった。 なんていうか、あんまり好みとかは無かったんだけど、サスケのくそ小生意気な面をみてるとなんかもうズタボロにして、やめろよとか云わせたくなるのは何でだろう。やっぱり砂浜ダッシュは二十本にしようそうしよう。こんなの女の子相手だと遠慮しちゃうのもあってできないけど、サスケなら出来ちゃうから楽しくてしょうがない。 「はーい、あと五本」 ピピョーと気の抜けた音をだすと鳥の形をした笛の足がバタバタと動く。露店で適当に買ってきた鳥笛の暢気な様子に、体力の違いを考慮して十五本で免除されたサクラが麦茶を飲みながら睨みつけてくる。 「なんかその能天気な顔がむかつくわ」 「かわいいでしょ」 よろよろのへとへとになりながら、サスケとナルトが海水浴客でひしめきあう三十六度炎天下を走り出す。 五十メートルダッシュも砂浜でやると重心が硬い地面で取るのとちがって下半身強化にはいい訓練になる。特にナルトたちの場合はもうそろそろウェイトトレーニングのやり方を覚え始めてもいい頃だった。なんといっても基礎体力は基本だ。 「はい、終了!」 よくやったな、お前ら、と言うと海の家の庇の下にひっくり返っていたナルトとサスケが汗まみれではりついた髪の隙間から恨めしげに見あげてきた。文句を言う体力もないらしい。ぜいぜいいって苦しそうなのに、水でも飲んでおいでと促してやる。よれよれのへとへとになりながら、悪態だけは別なのか罵りあいながら二人は人ごみを掻き分けて裏手の水場に歩いていった。 (仲いいなあ) すぐにサクラが追いかけていくのをオレはのんびりとついていった。 額当てを毟りとったナルトとサスケは勢いよく捻った水流に腕をつっこみ足をつっこみ頭をつっこんで洗い出す。そこまでやってからタオルを持ってないことに気がついたのか、砂まみれのシャツを見下ろして考えこんでいるようだ。 「もう、これ使って」 サクラが投げるタオルを押し付けられたサスケは悪いと云ったらしい、顔だけを拭くとナルトに回した。ナルトが鼻をつけてかいでいるのに何を勘違いしたのか、サクラから鉄拳が飛んでいる。きっとナルトのことだ、サクラちゃんのにおい、とでもにやにやしてたんだろう。あっさり予想がつく。 しかもなんて準備のよさだろう、ペットボトルにいれた麦茶をサクラはサスケに手渡してこっちに戻ってくる。よく気がつくなあと感心していると、サクラが突然両手で顔を覆った。 「もう私あのタオル洗わない…、だって、だってサスケくんの……キャーーー!」 この飽くなき恋の探求者サクラにオレはいったいどうやったら勝てるんだろうとしみじみ思いながらオレは鳥笛を吹く。なんていうか、オレは圧倒的不利なんだなあなんて今更実感してしまった。鳥笛の足がパタパタと暢気に回る。 「……よせよ、それ」 「ん?」 「犬笛みてえでむかつくってばよ」 ぴーぴーぴーぴー云いやがって、と悪態をついたナルトとこのときばかりは妙な連帯感を持ったらしいサスケの手がぶら下がっていた紐をもぎとり、顔の前に鳥笛を突きつけてくる。 「ダッシュしたくなる?」 「犬じゃねえよ。くそ」 筋肉痛だとサスケは足をすこし引きずってる。ナルトとサクラも同様で砂まみれのサンダルを引きずるようにして黄昏に薄闇のただよいだした海沿いの堤防を歩いていた。サンダルのしたからは温められた土の匂い、汐風が髪の毛をかきみだし海の音が聞こえる。 「お前ら今日は冷やしときな。あっためるより早く回復するよ」 「……ああ、そうか」 「アイシングなら薬があったと思うよ」 「使用期限なんざ切れてんだろ」 ご明察。はき捨てたサスケに、そういえばとサクラが振り返った。サスケの使用済みタオル(ナルトもだけど)を大事に握りしめて、それこそ可憐に笑う。 「今日はタンパク質たくさん取るといいよ」 「なんでだ」 「筋肉、とくにね瞬発力とかに必要な筋肉って言うのは一端酷使してから回復させると増えるんだって」 「へぇー、サクラちゃんすげー。じゃー今日は肉!肉食おうぜ先生!肉肉やきにくー!」 「なんでおまえ奢ってもらえると思ってんのよ」 「先生の財布はオレのもの、オレの財布はオレのもの。先生、先生、オレ先生んこと大好き!」 ……なんか今のでオレはイルカ先生に同情しちゃったじゃないか。しかもサクラとサスケまでなんだ、おまえらオレの金が目的なのかそうなのか。なんだか仲がいいことに先生は落ちこんでしまいそうだ。改めてオレの好きな子は十二なんだなあと思う。このぐらいの年の子は一ヶ月二ヶ月でそれこそ花でも咲くよう、鮮やかに成長する。 現にサスケの声は声変わりをして掠れた音になったし、ナルトもすこしサクラに身長がちかづいている。でも一番感じるのはサスケとナルトがなんとなく、なんとなくだ、サクラのことを女の子扱いしだしていることだった。サクラはかわいいし、身長もサスケと同じくらいだから女の子の中では成長が遅いほうじゃない。 今だってさりげなくナルトがサクラを通行する自転車があまりこない海側に避けている。 (微笑ましいねー) 心の中で呟きながら口布の下で顔はちっとも笑ってなかった。思わず鳥笛を咥えて吹けば三人そろって、ウザイ、といわれてしまった。 ……なんなのよ。 と、いうわけでオレは奢らなかった。オレの純情をもてあそんだ罰だ。 「で、なんでてめえが居るんだ」 来ちゃった、と笑っても誤魔化されてはくれない。蛍光灯にばたばたとぶつかる虫を眺めるようにサスケは顔を顰めるとドアノブを開けてオレの横をすり抜けていく。ドアが閉じられないのを了解だと解釈する。玄関に頭をぶつけないようちょっと首をかがめ、サスケのアパートにあがりこんだ。 ヤカンを火にかけたサスケは手早く番茶をつくってオレに出してくれる。なんとなく持ってきてしまった野菜の入った袋をテーブルに置くとサスケはちょっと驚いたみたいだ。 「……こないだももらったぞ」 「オレももらい物なんだよ。食べきれないからお前らにおすそ分け」 お前ら、という単語をだすとようやく許しをもらった犬みたいに手をのばし、サスケはいただきます、と頭をほんのちょっと下げた。 いい加減頻繁に出入りをしているせいかお客さまといったもてなしはお茶ぐらいまでだ。奥にひっこんだサスケは着替えてお風呂の用意でもしてきたんだろう、濡れた手をあたらしいシャツでぬぐいながらダイニングキッチンに戻ってくる。台所にしゃがみこんで米びつを覗きこむ。 「……メシでもくってくか?」 「うん」 ざらざらと三合、サスケは米を炊くみたいだ。ガサゴソとさっそくあげたビニール袋の中をのぞきこんでいるのが嬉しい。流しのちかくに立つと視線だけがこっちを向いてくるのに片目で笑う。 「焼き茄子食べたい」 「人んちのもんに注文つけんなよ」 「花かつおがふわふわーってするよ、おいしいじゃない」 云った途端、掴みあげた茄子を見るサスケの眼が真剣になる。 「剥くのは手伝うからさ、焼き茄子食べたい」 「手伝えよ」 「うん」 「狭いから風呂でも入って来い、呼ぶから」 「りょーかい」 じいっと黒い双眸が見あげてくるのに首を傾げる。なんだか笑いを堪えるような妙な顔をしたサスケはなんでもない、と顔をそらすと野菜を洗い出した。 サスケの家の風呂をつかうとやっぱりむずむずするのはどうしてだろう。貸されたタオルとかからサスケの家の洗濯物の匂いがするからだろうか、そこかしこにのこってるサスケの気配を勝手に拾いあげるせいだろうか、ぎゅうぎゅうせまいバスタブから足を突き出しながらオレは天井を仰ぐ。 (…なんだかなあ) 嫌われてるわけじゃないと思う。でも友だちでもない、知り合いでもない。教師と生徒というにはなんだかこれははみ出してる気もする。だけど恋人でなんかもちろんありえない。不意打ちでキスは掠めとったりするが、サスケは犬にでも噛まれたと思うぐらいなんだろう。 あんななんでもないような声で風呂でも入って来いと、いつか女の子に言うんだろうか。懐に入れたとおもったらこのルーズと思えるまでの許しぶりはどうだろう。 (浮気なんか出来なさそうな面してるしなあ) サクラのことを考えるとこれ以上なく微笑ましい、と思うのに顔は笑えなかった。 (今日こそ白黒つけてやろうと思ったんだけど) ばしゃりと湯船のお湯をすくいあげて顔を洗う。 進んできた道のりの一歩一歩、足跡に咲いてく星みたいな花が開く音、そういった音の一つ一つを雨だれみたいにずっと聞いてられると思っていた。だけど焦らないでじっくりいってやろうなんてやっぱり無理かもしれない、今すぐ両手両足掴まえてどうにかしてやりたい。 「おい、カカシ、そろそろメシだ」 「りょーかーい」 火傷しかけの指にお互い文句を言い合いながら真っ黒になった茄子の皮を剥く。生姜をきかせてたっぷりのかつおとだし醤油で食べると、やっぱり旬なだけあっておいしくて困った。海の家のおかみさんに持たされた浅蜊を殻ごとフライパンで酒蒸しにしたのは、よく締まった身を噛みしめるたびにおいしい味がして、ちょっと酒が欲しくもなる。 ほうれん草と玉子の味噌汁、胡瓜は白菜と一緒に鷹の爪でちょっと辛めの水漬けになってる。昆布の味がするのになんか食べた覚えがあるぞと思って気がついた。年上の、千本がトレードマークの特別上忍の顔だ。 (……おまえもか、って邪推しすぎか) やんなるねえとご飯を噛んでいると、食べ終わったサスケはごちそうさまと箸を置いていた。あんまり噛まないで食べるとバカになるんだぞ、と思いながら食事をしているとなんでかサスケはじっとオレを見てくる。 「なあに」 「あんた、食うの長いよな」 「小皿でちょびちょび食うのが好きなんだよね、牛みたいって云われるよ」 「なんだそれ」 「いつまでももぐもぐしてんだってさ」 へえ、といったサスケは立ち上がると風呂はいってる、と流しに皿を片付けて、奥に歩いていってしまう。あららと箸を噛んでいると声が投げられた。 「皿は水に付けといてくれればいいから」 「で、なんであんたは来るんだ」 「さっきも似たようなこと云ってなかった?」 湯船に両手をひっかけ、日焼あとのある足が放り出されている。頭をあずけて喉仏のでっぱりがめだちだした首筋を仰向き加減、眼をとじたままサスケはため息をつく。 「トイレならとっととしろよ」 ちがうんだけどなあ。笑いながらユニットバスの端っこに据付の便器に腰をかける。居座る気配に気がついたのかサスケの顔がこっちを向いた。眉をしかめはするが、追い出そうとはしない。 「…足がいてえ」 「筋肉痛だろ」 たちあがると床板がすこし軋んだ。カーテンをあけると蒸した空気の匂いが膚を撫でる。ゆっくりと湯船の端に腰をかけてサスケのふくらはぎを掴んで、マッサージをするように揉む。 「……いてえよ」 「血行をよくするといいんだよ、冷やした?」 「さっき水につっこんでた」 「うん、それでいいよ。……あのさあ」 「なんだよ」 「なんでおまえ触るなとか言わないの」 なんだか笑えてきてしまう。ばしゃりとサスケの足がお湯をはねあげて袖がすこし濡れた。なるべくお湯の中は見ないようにするけれど、日焼してない肩のあたりからの肌が白くてびっくりする。でももう三年ぐらいは我慢したい。 「変なことしちゃうよ」 「すんなよ」 「やだよ、ちゃんと答えてよ」 ずるいよ、と笑うと困ったような顔をして視線がちょっとだけ泳ぐ。 (やっぱりダメだなあ) サスケのこんな顔を見るとじっと待ってればいいのかそれともキスでもして思い切り掴まえてしまえばいいのか迷ってしまう。急ぎ足でも並足でも心臓の速さはばかみたいだ。引力に逆らえないまま口布をおろして顔をよせていくとゆっくり眼がふせられて焦点がぼやける、それが写真みたいに焼きついていく。 唇が触れる寸前、みきったようにサスケのため息が唇をあたためる。 「あんたさ」 「ん?」 「野菜の値札ぐらいちゃんとはがせよ」 「ばれてたか」 頼むから呆れたみたいに白い歯をほんのちょっと覗かせて楽しそうに笑わないで欲しい。 ミサイル投下にあっさり撃墜キスは失速、低空飛行の胴体着陸、サスケの額にオレのおでこがぶつかった。痛えよなんてやっぱり笑わないでほしい。キスがしたいよ、オレの純情はもってけドロボウ大安売りだ。サクラに悪いなあなんてもう数万光年彼方の話だ。 「なに笑ってんだよ」 いまは見えないけどきっと雨過天青、冗談をさらに冗談で上塗りしたみたいな夜空にはいちめんの星ぼし、台風が過ぎたばかりだから曇りなんてまったくない。降っては湧く虫の声の後ろ、どんどんとオレの頭を胸を叩いているのは心臓の鼓動だ。いやちがう、理性のドアをノックしてる音だ。もう屁理屈で丸めこんでぎゅうぎゅうに抱きしめて腰がぬけるぐらいのキスを仕掛けたい、なのに手が出せないもどかしさまで楽しんでる自分がいる。 「いやー、恥かしくてさ」 「嘘つけ」 ちょっとはときめいてほしいんだけど、お風呂のせいかサスケの頬の赤みは信用できない。 この心臓に触ったら嘘だなんてきっと言えなくなるに違いない。気づいてほしいような気づいてほしくないような、誰もしらない宝物を指の隙間からこっそり見せるような気持ち。 こんな心臓で焦るななんて誰ができるんだろう? |
「焦らずいこう」/カカシサスケ |
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