視界いちめんピンク色にサスケは唖然呆然だ。

「なになになになにっ!?なんなんだってばよー!」
「消火器が漏れてんの、バカ!きゃー!」

瀟洒な構えの店にもうもうと満ちる煙の向こうでサクラの悲鳴まじりの声、ごすっと鈍い音がした直後、ナルトの悲鳴が聞こえた。女子は手加減をしらなくてけっこう大変だ。山中いのにしょっちゅう首根っこにしがみつかれているサスケは思い出してすこし眉をしかめ、無駄に広い襟ぐりで鼻と口を押さえた。

煙いどころの話じゃない。脚立に腰かけてエロ本を見ていた上司はあれれ、と暢気につぶやきながら涼しい顔だ。それはそうだ、彼の鼻と口はいつでもマスクの下なのだから。

煙玉なみに視界を塞がれながらも、気配を頼りになんとなくすすむとガスと煙を噴出して蛇のようにのたくる赤い消火器のホースを必死で踏んづけているナルトがいた。ダンボールが消火器の粉をたっぷりかぶって一個ひっくり返っている。

今日の依頼はふるびた純喫茶の掃除の手伝いだった。 午前午後とたっぷり時間をかけてモップがけ、乾拭き、店員と協力して電気シェードのほこりを落としたり、窓拭きまでしたというのに。

「こりゃー、やりなおしだな」

ばふん、としおりをはさみ本を閉じる音が空々しく響いた。
誰かの悪戯か非常用の消火器のピンが抜かれていたらしい。明日も片づけにきますから、とカカシが言うと、店主の方が恐縮してしまい、後半はどうも、いやこちらこそ、すみません、いえいえ、という曖昧な話が三分も続いた。けれどしっかり依頼料の水増しはないですよねと押し切られたのだから、商売人は商売人だった。










ごはんにしよう


















はたけカカシは恋をした。

青いビニールシートの下で黒い口をあけ、不幸な通行人を待ちうけているマンホールに落ちこむような恋だった。歩いていれば働き蜂の格好で工事中を示すコーンも、注意を喚起する看板も角々に立っていて回避することは十分できた。下は穴だとしれるアスファルトに安っぽいビニールシートの上に足を踏み出しているときでさえ、「どうしようかなあ」とためらう余裕すらあったのだから、もちろん、不注意ではありえなかった。

警告はまず体が示した。発電装置のレバーがなんの拍子かスイッチを入れてしまい、うっかり彼の心臓をゆさぶる電流を流してしまったのだった。

恋の射程距離は広くもなく狭くもない、人並みだった。フィジカルな点だけで考えるのならもうすこし射程距離は広がり、とりあえず今まで女性限定だった。

なぜ注釈がつくかといえば彼の想い人は(その時点ではちがったわけだが)、同性だった。年齢が性的には未成熟にひとしく十四年も離れていることや、教師である彼の初めての教え子なことはあまりたいした問題ではなかった。彼が必要と思うのは戦場に適用できる最低限の法規と道義のみで、一般に先生と呼ばれる人々がのぞまれる倫理観は希薄だからだ。彼にとって教師は第一項にはなりえない。

一度目の放電現象が起きた時点で彼が恋を自覚したのかといえば、そうではない。胸が高鳴るのは好きだからではなく、発情しているためである。その点を間違えたりするほど愚か者ではなかった。

ゆえに同性相手の発情を彼はどうも接続がおかしいらしいと判断した。麗しき夜の花々を相手にたしかめたところ、配線に間違いはなかった。彼は首をかしげた。

二度目に体のスイッチが入ったとき、彼は天啓をうけた預言者のように激しい電流を感じた。大地に接しているつま先から頭のてっぺんまで一気に駆けぬけた衝撃からたちなおり、頭を白ませた麻痺がおさまりだすと、彼はしばらく考えこんだ。帰り道を歩きながら、日々を軽快な口調で泳ぐ彼には珍しく無言のまま、そんな彼を腹痛だろうかと心配する相手と歩きながら考えこんだ。そして相手にとって自分を、自分にとって相手を恋のカテゴリでくくりたいという激しい欲求が彼の胸のドアを叩くにいたり、彼は立ち止まった。

いまだ気づかれざる恋に悩んでいた彼を見てトイレに行きたいのかと心配する相手へと感情はほとばしった。ついでに発情にもつきうごかされ、キスをした。恭順と尊敬を示す手にではなく、友愛の頬にでもなく、唇までの最短距離をたどっておよそ三十秒、思いのたけをこめた。

想い人の答えは、短い悪態と拳骨みっつだった。だが脳内麻薬に酔っぱらった彼は性懲りもなく二十秒を追加し、すねを蹴り上げられた。

三度目をむかえずして、彼は恋の発電装置のスイッチをオンにした。青いビニールシートの上に足を踏み出したとき、「どうしようかなあ」と思いながら同時に「はまるのも面白いかもしれない」と考えた。

つまり彼はみずから恋の穴に身を投じたのだった。








ガラガラっと曇りガラスの扉が開いたかと思うと、湯気の雲をかきわけずんずんと出てきた腰巻タオルの少年が二人だ。

日焼けした肌とくるくるとよく動いて何か楽しそうなものをさがしているような碧眼、蜂蜜色の髪をした小柄な少年。そして比較的色白の肌に端正な面差し、筆ではらったような目元涼しい黒目黒髪の少年。いずれも年のころは十二か十三だ。

銭湯である。

緑のマットで足についた滴をふきながらお互いの肩がぶつかるたび、睨みあっている。ふん、と顔を放すと、脱衣所の右隅と左隅、一番はなれたロッカーにそれぞれ分かれて着替え始めた。一番浴場に近いところにいた黒髪の少年が上半身裸のままなんとなく、姿見に映った自分の姿に目を止める。

すのこの上でオレンジのズボンに足をとおしていた金髪の少年がケッ、すかしやがってナルシストめ、と思ってると、やおら黒髪の少年は右腕をまげてしげしげと見た。筋肉を見ているらしい。

こうなると黙ってられない金髪の少年である。

「やっぱオレだろ」
「オレだ」
「いんや、オレだってばよ!」
「んなわけあるか、短足チビ」
「……!」

短い言葉ながら悪気てんこもりの声にぴきっと場の空気が凍る。金髪の子供がブルブルと肩を怒らせ、鏡越しに隣りの少年を睨みつける。

「誰が短足だ!」
「……」

黒髪の少年は面倒くさいとばかりのため息一つ。金髪の少年にしてみれば、「そんなのもわからねえのか、この馬鹿は」といわれたようなものだ。股上ぎりぎりまでズボンを引き上げてみる。

「ぐっ……!テメエなんかいつか抜いてやんだかんな!」
「フン」

びしっと指紋の皺が一つ一つ見えそうなぐらい鼻先に指を突きつけられた少年は、死ぬ前にはやってみろ、といわんばかりの笑いを唇のはしに浮かべた。頭から湯気でもだしそうな金髪の少年はふたたび鏡に向き直り、ふん、と鼻息荒く力こぶをつくる。

「オレの方が筋肉あるっつうの!見ろ」
「寝言は寝て言えウスラトンカチ」
「ムッキィイイイイー!」

洗い立ての金髪をかきむしりそうな勢いで地団太を踏んだ金髪の少年はジャラジャラとポーチを探り、番台に駆け寄って「おっちゃん、牛乳!」と小銭をばちーんと置いた。

「腹壊すなよ」

ぼそりと聞こえた声に振り返れば、無表情な黒い目が視線の少し上にある。トイレはあっちだぞ、と淡々と指差しつきで教えられ、額に青筋立てた金髪の少年は今度こそ絶叫だ。

「おっちゃん、もう一本!!」






「はーるばる来ッたーぜフッジヤマー!さーッかまく波をのーりこっえてー!」
「あんたずっとうるさいのよ、女湯まで聞こえてたじゃない」
「だってサクラちゃん、すんげー広いんだもん、キダジマサブロー歌うといい気分でさ」

さわがしく夜道をあるく影が四つだ。子供が三人と長身の影が一つ。その向こうには黄昏の空に佇立する一本煙突から黒い煙がほわほわとたちのぼっていた。

なんで3人が風呂に入っていたかと言えば、七班の下忍全員が粉をかぶったからである。

「……ほんっとーにうるさいんだから、バカナルト!」
「だってよー。あー、腹がだぼだぼするー」
「だいたいね、お風呂はゆっくり入るものでしょ、なんでどれだけ早く出れるかとかサスケ君を巻き込んで競走してんのよ!」

サスケだって張り合ってるんだから同じことじゃないか、と男三人は思うが、カカシは言ったところでサクラが聞く耳をもたないのを知っているし、サスケは自分にとばっちりが来るわけでもないので黙っている。

「それはトイレでもやってんだってばよ」

さらりと言ったナルトに、サクラが不潔、と悲鳴をあげてサスケに抱きついた。よろけそうになるが踏ん張ってしまうのは条件反射的なものだ。結果的にサクラを抱きとめたサスケは眉をしかめ、ぐいとサクラを押しのけた。サスケは慣れたもので抱きつかれてもうろたえないし、押しのけられたサクラの方も気にした風もない。駄目元だからだ。

なんていうかおじさん目のやりどころに困っちゃうよ、と思いながら七班担当のカカシは濡れてしんなりと寒そうな子供たちの旋毛を見る。

「なんていうの、どれだけ早くションベんしてトイレでるか、とか計ったりしねえ?一分切ってからが難しくってさ」
「しねーよ」
「しないわよ」
「ははは」
「……っていうか、あんたちゃんと拭いてるの……?」
「え?」
「トイレの時よ」

紅一点の問いかけにナルトが丸い目でカカシを見あげ、サスケもカカシを見あげる。何で俺を見るかこいつらは、と数秒後のサクラのリアクションを想像したカカシは逃げ出したい気分で、雲間から見える星を見上げた。

「個室んときは拭くってば」
「ぎゃー!え?え?カカシ先生?」

爆弾投下に救いをもとめる翡翠色の訴えにカカシは笑うだけだ。こればっかりは構造と習慣の違いで致しかたない。片眉をひょいと器用に上げた。

「ん、俺も以下同文」
「……!……ッ!」
「サスケもそうだよな」
「……まあな」

数十秒間の重苦しい沈黙をはさみ、最後の信頼を打ち砕かれたサクラがもらしたのは「男の人って……!」という言葉のみだった。

「そういやせんせーってフロん時もマスクつけっぱなの?」
「……変態くさいわね、それ」

ナルトの発言につづくサクラの暴言にカカシの毛の生えた心臓もしょうしょう傷ついた。黒いマスクだけつけて赤裸なんてまさに変態以外の何ものでもない。裸ネクタイと靴下に匹敵する。

「はは、どうでしょー」

無言のサスケの視線が痛かった。
だって恋をしてしまったのだからしょうがないではないか。
第二次性徴期をほんのりむかえた男子に発情するなんていう、射程距離のひろさを自覚したのはつい先日なのだ。だからってまっぱマスクをするほどではない、つもりだ。いまだ運命のコペルニクス的転回に自分だって戸惑ってるのだ。

女の子のサクラを家の門前まで送っていってから、通り一本はさんだナルトと別れるとサスケとカカシの二人きりだ。それまでナルトがカカシに話し掛けたりしていたものの、金髪頭がなくなったとたんしんとした沈黙が落ちる。

気まずいなあとカカシはため息をついたが、自業自得なのでしょうがなかった。もとよりサスケは寡黙な性質だから沈黙はあたりまえなのだが、気まずい材料はじゅうぶんにある。

恋に尻を叩かれたカカシがサスケに熱いベーゼを三十秒サービス延長で二十秒、トータル五十秒間食らわせたのはつい半月ぐらい前のことだ。

それではそのあとどうなったか。

(どうもなってないんだよ)

任務は通常、真面目なサスケのリアクションも同様、なくなったものといえば、スーパー木の葉の湯にサスケが現われなくなったことである。

そりゃあまあそうだ。

映画館で隣に座った人間にいきなり手を握りこまれるようなものだ。指を指の股につっこむような握り方だと想像すればいいかもしれない。警戒をしていないため、けっこうショックは大きい。

ただ不思議なのが別に避けられてる風もないところだ。

(これ以上避けようがないからってオチだったり)

もともとサスケはしゃべらないし、カカシのことはあんた呼ばわりで、よく思い返せば朝と夕方に挨拶程度はなすだけで、ちっとも会話が成立しない日もままある。ありうる話だが、あまり考えるとおもしろくないのでカカシは思考を打ち切った。

「じゃあね」
「ああ」

ひらひらと手をふるとサスケは頷いて歩き出す。だが数歩で振り返った。

「どうした」

じっと見つめられれば落ち着いてなんていられない恋する心臓だ。恋の演技性というのは恋人役になった俳優が恋愛に陥ることからも証明されるが云々、という文句が頭の中を電光掲示板のように流れていくが、そんなものは台風で決壊したあとの川に堤防を築こうとするようなものだ。

ごわついて硬い髪も濡れていれば天使の輪が出来ていて、撫でたらひんやりしていそうだ。疼く右手を押さえつつ視線を下げるとすこし鳥肌だった首筋あたりを凝視する羽目になってにっちもさっちも行かない。寒いんじゃないの、なんて理由付けをしたら抱きしめたって許される状況じゃないのか、とカカシの思考はめまぐるしい。

サスケはすこし眉をしかめ、それから視線を泳がせた。なんとなく困っているような顔だ。まだ丸みの残る頬は産毛がふわふわと輪郭をぼかして温かそうな色だ。震える熱い胸の内を告白するなら空っぽの両手はいつでも待ちかまえている。

(都合がいい想像だって言うのはわかってんだけどねー)

夢見たっていいじゃないかとカカシはいささか貧乏な思考をする。損もないが利益もない妄想は自由だ。妄想がティッシュのおかずになってるか否かは彼のプライヴァシー保護のために秘匿させていただく。ぼそりとつぶやく声にカカシは現実に戻った。

「――きょうは」
「きょうは?」
「いい、お湯でした……?」
「は?――ああ、うん」

カカシのぼんやりした返答にサスケは不機嫌そうに眉をしかめたが、もう一度、アリガトウゴザイマス、ときちりという。ちょうどいい言い回しというか、お礼の言い方がわからないのだろう。 ……だからそんなに凝視されるとまたぞろ変な気分になってしまうではないか。

「たかが銭湯と飲み物だけだしね」

湯冷めして風邪ひくなよ、というとサスケは頷いて駆け出す。いっさんに走って遠ざかる背中はほんとうに早かった。

心臓の針はほんとうに相手次第で行ったり来たり忙しい。 カカシはため息をついて心臓のあたりを押さえてみる。歩いていただけであんなぶっきらぼうなお礼だけで、走った直後のようだった。

彼は恋をしている。













「……あれ」

呟いた彼の頭の向こうにみえるスピーカーから間延びした「赤とんぼ」のメロディが流れていた。夕方5時、子供にとってはもう門限の時間帯だ。

小脇には洗面器とスポンジとタオルやもろもろ、足元は少々寒くなってきたが雪駄、いかにも風呂に入りに来た格好で立ち止まり、ガラス戸の張り紙をまえに情けない声をあげた。

「え〜」

『本日ボイラーの調整のため休業いたします・・・・・・スーパー木の葉の湯 スタッフ一同』

はたけカカシは非常に困った。

彼が住む下宿の風呂はいま壊れているために改修工事があり、風呂場には立ち入れないのである。たまの休みとなれば内装業者と大家、彼の風呂場を破壊した上の部屋の夫婦の立会いのもと見積もり書を提出したり、保険のことだのなんやかやと煩雑なことがおおい。

ためにここ一ヶ月間、彼はいそいそと銭湯に通っていたのだった。シャワー室ぐらいはアカデミーにあるが、やはり彼は風呂がよかった。身長が180強もあれば通常の湯船でゆったり体を伸ばすことなど皆無なものだから、ひろい湯船は気持ちがいい。毎回おなじ身の上話をするおじいさんも水しぶきをあげてクロールをする子供などもあまり気にならない。

(ま、どうせサスケはいないからいいんだけどさ)
「なにやってんだ?」

と思ったらいた。

何でこいつはこんなに見計らったようなタイミングなのか、本当に意味がわからない。

ビニール袋からネギがはみ出てるのが無駄に所帯じみていて、ほんのすこしかわいそうだなんて思った自分を隠すことにする。にしても自炊なのかと妙なところで感心してしまう。

なんとなく思考一連を振り切りたくなって、張り紙を指差してため息なんかをついてみる。サスケとの間はもたないので困ってるのだ。

「うちんち風呂今つかえないんだよね」

サスケはカカシを見、そして銭湯のガラス戸にはってある張り紙をみて納得したようだ。

「……うち来るか?」

かまわねえぞ、とえらそうに顎をしゃくられた。
























「ごはんにしよう1」/カカシサスケ








ごめんなさい、サッスンとナルトに
筋肉比べして欲しいだけだったんです・・・。
そしてつづくよ、こんなのが。

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