ぴとんと水滴が落ちる音に目をあけた。 硝子窓をすこしあけた格子窓からのぞくくもった空と雨にぬれた森がみえる。雨雲が去り青空がのぞくたび空は高くなり日影はうすまって傾いでいき、薄の穂波は金色になる。冴えだした風が運ぶ草の匂いもどこか乾いて、朝夕が冷えだし夜がだんだんと長くなってくる頃だ。

久々に西からやってきた雨もよいの雲は夜になるのを待たずに降り出し、あっというまに山間の空気を冷やした。裸の白熱球にまとわりつく湯けむりが夏よりずいぶんと白く見えるのは気のせいではないだろう。肩をいれて温まるまでは腕をだすと肌寒い。

(あー、いい気持ち)

ヒノキの匂いがする風呂場は長身の部類にはいるカカシにとっていささか手狭ではあったけれど、掃除は行き届いていてカビのにおいやぬるみもなく、手作りらしい石鹸とかぎなれないよその家の匂いがわるくない。入浴剤にとわたされた薬草の包みがふわふわと浮いていて、鼻を近づけると生姜の清しいにおいがして、匂いだけでも体があたたまる気がする。

風呂場の外に気配がするのに、なんですか、と声をかければ、オレだと返ってきた声はサスケのものだった。頭の上にのせていたタオルで顔を覆おうとしてから、何度か見られたこともあったかと思いやめる。湯船の外に両腕をなげだして、戸のほうに上体を傾けて大きめの声で返事をした。

「どうしたの?」
「いや……ちょっと、いいか?」

めずらしく戸の向こうで躊躇うような答えを返してきたくせに、返事をするまえにとがらりと戸が開いた。

「アンタに、話があるんだ」
「話ってなんの」

すこし煙った湯気ごしにでもわかる、スノコのうえにのった裸足、日焼けしても白い足とタオルに包まれた腰からまだどこか胸や腹のあたりに甘さをのこした、それでも性徴の明らかな腕や肩も露に、ほぼ裸のサスケがオレを見下ろしてくる。相当に驚いたが顔が動かないのは職業病だろう。すこし緊張しているのか、形のいい眉をひそめた様子が年に不釣合いに悩ましげで、うっかりアレになりそうになりながらもせいぜい平静をたもって首をかしげて見せた。

「そんなに急ぐことなの?」

どことなくめんどくさそうな響きになった声が風呂場に反響する。自分でもおもったより突き放した言い方にサスケも驚いた、というよりどこか傷ついたように眉宇を曇らせて足元を見下ろした。肌寒いのか粟立った左肩のあたりを右手で覆う、恥らうような仕草で体を隠し、俯いたせいで意外に華奢な首の線が露になる。目のやり場にこまる。

「それとも先生と一緒にお風呂はいりたかったとか〜?」

笑って言ったのに、サスケは目を瞠ってカカシを見ると、かすかに目元を赤くして伏目がちになった。思わぬ真面目な反応に当人カカシが内心だけで戸惑うのをよそにサスケは口惜しそうに噛んでいた唇を開く。

「……こうでもしねえと、あんたとサシで話なんか、できねえだろ」

あからさまに緊張をしめす震え掠れた声が反響して息遣いさえしそうなぐらい、急にお湯の温かさが心臓にしみてきて耳元で鼓動がどくどく逸りだす。あんたと二人っきりになりたかったんだ、とダメ押しで囁かれたらもう肯くしかない。ふうと呼吸と鼓動をおちつかせるためにため息をついて、カカシはサスケをまっすぐ見た。

「それで、どうしたの?」

ついに待ち望んだ瞬間がやってきたに違いないと胸を躍らせながら。顔はたぶん平静だろうが瞳孔はすこし興奮で大きくなっているかも知れなかった。反射はチャクラでいじらないかぎりなかなか制御できないものなのだ。

「…………」
「いや、ちょっと黙んないでよ」

話があるんでしょうが、とため息をついたカカシを見下ろしたサスケはどことなしに顔を赤くしたまま、ようやくハマグリのような口を開く。

「出ろ」
「はい?」
「湯船からでろ。洗ってやる」
「……そりゃどうも」

偉そうだなと思い、首をかしげながらもカカシは湯船からいそいそとあがる。腰掛に体を下ろしたカカシの横からサスケは手桶で盥にお湯をうつし、手ぬぐいを放り込むと泡立てはじめた。

「…………なんのサービス?」
「なんだよ?」
「いやこっちの話」

ごしごしとくたびれて肌触りのいい体洗いようの手ぬぐいで背中を洗われながらカカシがため息をつくのに、サスケのため息も重なった。

「それで?」
「ああ……」

それからあとが続かない。サスケは二の腕の辺りから首筋を耳の後ろまで丁寧に洗い、背中も汚れがとれると実感できるぐらい痛さを感じる寸前のちょうどいい加減で泡立てて反対の二の腕まで洗った。

「なんで、アンタ」
「うん」
「最近、来なくなった」

サスケは無口で、単語を放り投げるように話すけれどなぜか要点ははずさないから、わかりにくいということはなかった。端的で無駄がない。サスケは泡立ちの悪くなった手ぬぐいにお湯をすこしかけて石鹸をたし、泡立てる。

「なんで、って言われると困っちゃうんだけど」
「……そうか」

黙ったサスケは曇った鏡ごし、いつもどおり不機嫌か怒ってるかよくわからない顔をしていた。なんでと言われて困るのは理由が特にないから、あるいは内緒にしたい理由があるからだ。

「今度また行ってもいいの?」

ふと手が止まったことにカカシは驚いて、眼にかかる髪の毛をすこしよけると鏡をもう一度のぞきこんだ。肩の後ろ、すのこに膝をついたサスケは目を見開いてどこかを凝視している。だがその目があがってカカシと目が合うと、ふと伏せた。

「アンタは、……それでいいのかよ」
「え?」

行っていいのときいたのはこちらなのに質問で返されて動揺する。ためらいがちに答えたサスケは眉間の皺をまた深くすると、流すぞ、と手桶を湯船に突っこんだ。背中をむけたまま顔には出さなくても緊張していたカカシはおとなしく腰掛けに座ったまま、サスケの言葉を待っている。

「アンタが、オレのとこに来なくなって」
「ああ、うん」

あんま行けてなかったよね、となにか大事な理由があっていけなかったような相槌をうちながら、カカシは鏡越しに横向いたサスケの顔をみている。めずらしく終始ためらいがちなサスケは、いつもの端的な話し方をせずに、どこか迂遠な話し方をしているが戸惑う空気のほうが多いからカカシは焦りは禁物だとおろした手のひらを必死でふとももに張りつけていた。張りつけていないと、どうにかなりそうだったのだ。

「いろいろ、その、オレなりに考えたんだ」

まだ面輪におさなさの甘い線をのこしたサスケは、目じりが切れ長のせいで思うよりよほどきつく見えがちな眼差しをふせた。思いのほか長い睫の影がわずかに紅をうかせた頬にうすく落ちる。白熱球のオレンジの光は浴室をみたした湯煙でやわらかくなり輪郭をどこもかしこもやさしく甘くみせるのに、胸苦しい感じもして鼓動がはやくなる。逡巡にひきむすばれ僅かに色をのせた唇がひらくのにカカシはどんな言葉ひとつ聞き漏らさないよう息をひそめた。それでもサスケを促す声が平静なのはやはり職業病だとしかいいようがなかった。

「なにを?」
「それで、それで、オレ、気がついたんだ、ほんとは」









まっすぐいこう









古今東西、押して駄目ならどうするか?

今日の任務の場所は木の葉の里からすこしはなれた火の国の温泉街だ。火の国は忍びの里が木の葉と名前に戴いているように森深くまた山ぶかい国だ。火の国と呼ばれるのも当然、火山が多いことに由来する。火山帯は大小をふくめて九つ、世界にある数百の火山のうち一割が火の国に存在している。火山が多ければ当然温泉も多い。火の国は森が支える水系もあって水が豊か、水が豊かだと風呂が発達し、風呂が好きであれば湯治も当然はやる。

木の葉の里ちかくにある湯治の里は、いくらか山間になるため冬場になれば往来がすくなくなってしまうが長逗留の客も少なくない。旅籠も長逗留の客の捕まえ方をわきまえていて、客寄せには余念がない。建物は豪奢や絢爛といった美々しいものではなく、雪ぶかい冬や暑い夏と四季がはっきりと移りかわる気候にふさわしいつくりをした、昔ながらの下宿屋といった構えのものが多い。それでも各地にある温泉街でも中堅どころ、素朴でありながら外見よりも奥行きをかんじさせる部屋の配置、風情のある坪庭をそなえ、源泉かけ流しの部屋風呂をそなえていたり離れになっていたり、食事も山菜をつかった精進料理からこった会席まで、若い客よりもおちついた夫婦に的をしぼったような町だ。

今回の任務の内容は、はるばるこの宿に療治にやってきたさる大名の外戚にあたる老夫婦の付き添いだった。なんでも旦那さんのほうはリュウマチ、奥さんのほうは年をとってから冷え性やら立ちくらみやらとあまり体調が思わしくないとのこと、思い切ってこの里で湯治をうけることにしたのだそうだ。

大名の城からおよそ三泊四日、逗留先の旅籠に送り届ければ任務は終了だ。

この温泉街でおもしろいのがゆけむり手形という手形があって、一定期間、温泉街の中のどの温泉でも廉価あるいはタダではいれるようにしている仕組みだ。一日手形から一週間、一ヶ月のものや土日祝日限定のものなど期間がいろいろあるし、今日は山の高いところにある温泉、あしたはある宿屋のうたせ湯というようにスタンプラリーのような仕様になった地図も渡される。近所の老夫婦が浴衣姿で首から手形をさげながら、石段を仲良く歩いているのはなかなかほほえましかった。冬になれば鹿や猿も入りにくる湯もあるというのだからかわいい。

どこもかしこも玉子の匂いがして足の裏が暖かく、方々から湯気があがる。川かと思って近づけば、朝方には湯気があがっていることで温泉なのだと知れた。

宿についたのが夕方ごろ、それに雨雲がわだかまりだしたのもあって、依頼人のおじいさんおばあさんは泊まって行ったらいかがですかとあっさり代金に色をつけてくれた。否やはなかった。せっかく温泉にきて入れないのはやっぱりさみしいものだ。

宿屋のご亭主たちもやはり年配の方が多いものだから、ナルトたちぐらいの子供がかわいいのか、方々から声をかけられる。歩いているだけで、玉子をあげようかだのふかし芋があるだのと手の中にどんどんおやつをねじこまれているのはみていて微笑ましかった。おおきな蒸篭でちょうど蒸しあがった御饅頭をものめずらしげにながめていたら、腰の曲がったおばあちゃんはにこにこわらって、笹の葉にくるんで赤い傘をさしかけた床机の下にお茶までだして招待してくれた。

つぶがちょうどよく残るぐらいに炊かれた餡をつつむ皮は自然薯がまざっているからとてももちもちしている。おばあちゃんがあまり一生懸命おすすめするから食べたのはいいけれど、甘いのがあまり得意ではなかったから一週間分の甘味を食べた気になる。一緒にだしてくれた番茶の温かさが雨がふりだしそうな寒い空気にとてもありがたい。

「んまい!」

そうかいそうかいと相好をくずして前掛けで手を拭くおばあちゃんにナルトはにこにこ笑って饅頭にかぶりついている。なんでもそっちは栗いりだそうだ。

「あー、お土産とかもって帰りたいなー」

オレのこと兄貴って慕う子分がいっからよ、と鼻高々なナルトの隣で、多分相当に努力して半分ほど饅頭を片付けたサスケが「ガキ大将にしかなれねーんだろ」と冷静に突っこんでいる。

「ばっか、ばーか!サスケ、オレのジントクって奴ゥウェエッホ!ゲホッ」
「ちょっと、もうむせないでよ!」

反論しようとして喉のおくに栗が転がりこんだらしい、胸を拳でどんどんたたいて足をうごかすナルトの横でサクラが顔を横向けながら、茶碗におかわりの番茶を注いでやった。

「ふぁー、死ぬかと思ったってばよ。っておばちゃん、これお土産ってもらえる?」

ふかさないの持って帰ったら長持ちするから、と笑うのにナルトはやったと飛び上がる。木の葉丸だろ、それからそれから、と指を折っていくのにふと笑えてきた。

「……ナルトはえらいなあ」

ぐしぐしと頭を撫でるとぬくまった土の匂いがした。なでられたナルトは猫の子みたいに頭を自分から手のひらの窪みにちょうどよくぐりっと押しつけてから、すげーっしょ!とおもいきり笑うので笑ってしまう。なでて、という正直なおねだりにすこし笑って頭をぐしぐしすれば、ナルトはたのしそうな悲鳴をあげて手から逃げた。 くつくつと喉をならして笑うとサクラが眉をしかめてみあげてくる

「なに?」
「なんか、最近、先生へん」

あからさまに不審だという声と視線に、そうかなあとそらとぼけて返す。内心どれだけ鋭いなあとおもっても声も顔もいつも通りだ。ほかほかとした湯気がそこかしこであがっていた。サスケは頑張って饅頭をほっぺたに押しこんでお茶で流し込もうとしていた。げっ歯類の頬袋みたいになってる顔があまり似合わなくて笑える。

秋といえば馬肥ゆる秋。芋栗かぼちゃが好きなわけではないけれど、新米はおいしいし葡萄もおいしい林檎もうまい、茸もとれるし秋刀魚もうまい、すだちかカボスは好みで分けるとして秋はとりあえずおいしいものが目白押しだ。行楽の秋、スポーツの秋、読書の秋、思索の秋。

だが秋の心とかいて愁いだ。愁い。哀愁の愁い。恋の愁い。オレといえば恋に愁いている真っ最中だ。なにせ意中の人にこれぽっちもなびいてもらえるそぶりがないのだ。

夏の夜道でいきなり恋が花火みたいにふってきて、ちょっと迷ったけどやっぱり恋に落ちてしまえとマンホールに飛び込んで、そこからごはんを一緒に食べるようになったり、お風呂もらったり、ときたまキスしてみたり。だけれどちっとも恋がかなったわけではない。なぜならどうにも意中の相手が鈍いからなのだった。

ほとんど強引な嫌がらせ半分にキスをせまって、どうにかこうにか指の両手で超えるぐらい、はキスをしたのだけれど、相手に自分と同じだけ胸のときめきがあるのかと考えればこれがさっぱり。あげく浅はかに買い込んだ野菜をもらい物だからあげるといって乗り込んだら、あっさりばれるし、鼻で笑われるしで、どうにもこうにもかっこいいところは見せられなかった。オレの鼓動の早さはぜんぜん伝わってない。

鈍いわけではなくてほんとうに眼中にないのかもしれない、けれどもあまり考えたくない可能性なので目をつぶることにする。なにが辛いって嫌われているわけではないこと、キスを許されているような気がすること、けれど踏み込むことはやっぱりできない、微妙な距離感のせいだった。ほんとはぎゅっと抱きしめたいし抱きしめられたいし、ほんとはちょっといやらしいこともしたいのだけれど、嫌がるし蹴られるしでわけが分からない。

キスはいいのに手をつなぐのは駄目ってなんだそれは。だがわけが分からないにしろ、その距離はオレは俺なりに頑張って押してみた結果の距離なのだった。けれど駄目なのだった。

オレと意中の人の間にはナルトとサクラが座っている。ナルトのつむじを見て、サクラのつむじをみて、それから真っ黒いつむじを見た。ふとサスケの眼があがるのにオレは視線をそらしてしまう。左目は額宛で覆っているから、正面を向いてしまえば別にどんな表情もばれやしない、のがよかった。

さて、おしてダメならどうするか?
押してだめならひいてみた。

題して「俺たちちょっと距離をおいたほうがいいんだよね」。

と、面と向かっていったわけではないが、とりあえずサスケを避けまくった。断固避けた。頑張って避けた。

セオリーどおりヒットアンドアウェイでやってみたのはいいけれど、効果はいまのところさっぱりだ。たとえば、いつもならお誘いしていた修行に誘わなくなったとか、ごはんを一緒にたべなくなったとか、よく遭遇する銭湯にいかなくなってみただとか。任務以外で顔を合わせないと決心すればあっというまに叶うものだ。

ナルトを構ってみたって、サクラをかまってみたって意中の人はわれ関せずとばかりに、湯飲みを傾けてお茶をごくごく飲んでいる。考えればいつもサスケは修行だとかがあれば呆れるくらいしつこいし厳しいけれど、ほかはからきしどこか鷹揚でちっとも行かなくなったことをなやむ気ぶりもない。ぐしゃりと饅頭をつつんでいた笹の葉をまるめ、湯飲みをすすいでかえしたサスケは赤い毛氈のひかれた床机からたちあがった。オレは部屋にいってるぜ、と一言だけのこして柳が植わった石組みの道をすたすたと歩いていくきもちがいいくらい潔い背中だ。

「もう、つれないんだからー」
「……げ」

ページをめくりそこねて変な場所がでた。あー、びっくりした。おもわず心の声が出ちゃったかと思ったじゃないか。サクラはサスケの背中をじっと見つめたまま、虫歯なのに飴をなめてるような切ない顔をしている。

(つれない、よなあ)

もうちょっとなんかリアクションがあるかとおもうがさっぱりで、せっせと足を運んでせっかく縮めた距離がひらいてしまうような気がする。鷹揚なサスケはいきなりちかづいても拒絶しなかった、はなれても特にきにした様子もない。

まだ押しがたりなかったってことだろうか。でもキス以上はあきらかに強制猥褻になっちゃうんじゃないのかな?キスだって十分ヘンタイの汚名を被るには十分すぎる。できるわけないじゃないか。しかも子供ってどうくどけばいいんだ。目と目があったらなんてツーカーで通じる年じゃない。

でもオレちゃんと好きっていったし、キスもしたし、これ以上の正攻法ってなにがあるんだ。 オレははやくも手詰まり八方ふさがりだった。

(これから十年後とか、『そういえばへんな上忍いたな』とかで終わっちゃうのかなあ)

そんなの、いやだ。








「まっすぐいこう」/カカシサスケ







中身がないのになんでこんなに長いんだ…。
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→「まっすぐいこう」








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